戦後日本の歩み
経済の離陸(1955年〜59年)
ようこそ 悠久の館へ
前年の不況を脱した我が国の経済は、@輸出主導によるインフレ無き経済拡大と、A特需(朝鮮戦争・基地の消費需要)に依存しない国際収支の均衡という、戦後復興期以来の目標をこの期に達成することができました。
そして、「もはや戦後ではない」(1956年経済白書)と宣言、この5年間の「神武景気→なべ底景気→岩戸景気」という景気循環の中、@産業構造の穏かな転換、Aインフラ・設備投資の拡大、B技術革新の促進を通じて、国民の生活水準の向上を促進、高度経済成長の前段期としての「経済の離陸」を果たしました。
また、政治面では、社会党の左右両派の統一、自由党と日本民主党の保守合同があり、自由民主党が発足(1955年)、そして、第3次鳩山内閣が成立し、これ以降の長きにわたる保守・革新の2大政党時代(いわゆる「55年体制」)が形成されました。
冷戦構造の緊張が深まる中、外交面では、@極東の安全と平和の維持、及び、A日本の防衛を担う為に、「日米安保条約」の改定交渉が始まり、安保闘争という反戦・平和運動の試練を経験することになりました。
また、@ソ連及び東欧共産圏諸国との国交回復(北方領土問題は先送り)や、A東南アジア諸国との賠償問題の解決・経済協力の推進と共に、BGATT加盟、C国連加盟を果たして、国際社会への復帰に努力しました。
拡大図>
◆戦後世界の概況
(1955年〜59年)
○砂上に建つ世界秩序
☆冷戦構造の緊迫化
- 並立する軍事同盟と対立
- NATO(1949年調印)対抗の軍事同盟「ワルシャワ条約(ソ連・東欧7ヶ国)」成立(1955年)
- 東西ドイツの主権回復(1955年)なるも、ベルリンの壁構築(1961年〜)へ
- ソ連、ハンガリー暴動を軍事制圧(1956年)
- 中国の拡大志向と軋轢拡大
- 朝鮮戦争の休戦(1953年)後、共産党指導の社会主義への移行加速
- ソ連の平和移行論批判(1957年)から中ソ対立先鋭化
- 大躍進運動開始(1958年)、強大な社会主義大国を目指す
- 台湾(旅行体験)の金門島攻撃(1958年)で中台間の緊張拡大
- チベット叛乱の制圧(ダライ・ラマ、インド亡命)で中印国境紛争(1959年)誘発
- キューバ危機の萌芽
- キューバ革命(1959年)で親米政権崩壊。革命政府、米国企業の利権撤廃、用地接収へ→後に、国交断絶、ピッグス湾事件(1961年)を経て、キューバ危機(1962年)勃発
- ベトナム戦争への序曲
- ベトナム共和国(旧南ベトナム)、ゴ・ディンディエム親米政権成立(1955年)→北ベトナム、中国との援助協定調印を経て、南ベトナムの武力解放を決定(1959年)→後に、米軍の北爆開始(1964年)へ
- 激化する軍拡競争と模索する安全保障
- 米英の水爆実験。米ソの大陸間弾道弾ICBM実験、人工衛星打上実験。国連軍縮決議案採択(82ヶ国)
- インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議(平和10原則、集団自衛権)開催。経済統合を目指す関税同盟としての欧州経済共同市場成立
☆模索する自立と支配からの脱却
- 独立と政変
- @スーダン、キプロス独立。Aモロッコ、チュニジア、ギニア、宗主国フランスより独立。Bマラヤ連邦、シンガポール、英連邦内で独立
- パキスタン(共和制に移行)、イラク(王朝崩壊、共和制に)、タイ(2度のクーデター)
- 紛争と干渉
- 第2次中東戦争(英仏イスラエルがエジプト侵攻)勃発(1956年)→エジプトのスエズ運河国有化宣言(1956年)が端緒。国連決議を受けて停戦→エジプト、英仏の銀行を国有化(1957年)。英仏の影響力衰退→イスラエル、エジプトのチラン海峡封鎖による経済封鎖を解除
- インドネシア、オランダ資産接収(1956年)。社会主義国との友好強化(1959年)
- 親米政権レバノンで反米暴動、米海兵隊上陸(1958年)
○戦後復興と日本
(1955年〜59年)
☆国際社会への復帰
- 戦後未締結国との国交回復を実現
- ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア等の東欧共産圏諸国との国交を回復
- 北方領土問題で難航する中、日ソ漁業条約締結を機に、領土問題を先送りして日ソ共同宣言を調印(1956年)、戦争状態の終結と国交の回復を図る→日ソ通商条約調印(1957年)と日ソ間の関係を修復
- GATT加盟、国連加盟を実現
- 輸出急増の中、残存する輸入制限措置が課題に。輸入自由化の圧力も急増。→これら課題解消に尽力
- 日ソ国交回復の前進が、日本の国連加盟に寄与
☆経済の離陸
- インフレ無き経済成長の持続
- 設備投資が経済成長を牽引、国内総生産(GDP)は約1.6倍に拡大
- 消費者物価、完全失業率が低位安定化、家計・政府の収支も黒字基調を堅持
- 技術革新と産業構造の穏かな転換
- 第1次産業の衰退、第2次産業の成長。製造業も軽工業より重化学工業にシフト
- 設備、技術の近代化投資拡大。化学製品・電気機械器具分野の技術導入高位安定
- インフラ整備と生活水準の向上
- 国家財政規模が順調に拡大。政府の生活・産業基盤投資も約1.6倍に拡大
- 良好な雇用環境の中、家計収入も増加。家計の食費負担率低減で、消費・貯蓄性向も増加
☆日本の安全保障
- ○日米共同防衛の明文化等、より平等な条約を目指す日米安全保障条約の改定交渉
- 旧条約は、サンフランシスコ平和条約(1951年。時代背景)と同時に締結→極東の安全と平和の為の基地提供、米軍の駐留
- 日米地位協定(米軍への施設や地域の提供。兵士の裁判権等)の交渉→日米安保改定及び日米地位協定調印・発効(1960年)
- ○安保闘争の発生
- 労働者、学生、市民が参加した空前の規模(全国580万人参加)の反戦・平和運動→日米共同防衛明文化→戦争に巻き込まれるリスク増大
- デモ隊の国会構内乱入(1959年)、衆院での強行採決、全学連と警察隊の衝突(大学生樺美智子の死亡)、岸内閣総辞職(1960年)→池田内閣の衆議院総選挙で、自民党議席拡大(1960年)
- ○加熱する基地問題
- 国内の立川基地拡張問題と反対運動
- 沖縄(米国委託統治)の米兵人権事件、軍用地接収問題、ジェット機墜落事故等
☆☆ ひと休み ☆☆
<ある春 (健康散歩)>
日本経済の離陸へ>
◆主な出来事
(1955年〜59年)
<1955年>
法隆寺の昭和大修理(01)
シハヌーク退位、人民社会主義共同体結成(
カンボジア)(03)
第2次鳩山内閣成立(03)
バンドンでアジア・アフリカ会議開催、平和10原則・集団自衛権共同宣言(04)
西ドイツ主権回復。パリ協定発効で(05)
東京・砂川町で立川基地拡張反対総決起大会(05)
@通産省、石油化学工業育成5ヶ年計画発表。A第9回経済白書「前進への道」発表。B日本、タイと特別円協定調印(5年間に54億円支払い、2800万ドルの経済協力)(07)
欧州通貨協定(EME)(08)
@第1回原水爆禁止世界大会、広島で開催。
A東大生産技術研究所、2段式ペンシルロケット実験実施。
B森永砒素ミルク事件(08)
ソ連・東ドイツ、東独主権回復協定調印(09)
日本、GATT加入(09)
米兵幼女暴行殺人事件発生(09)
ベトナム共和国(旧南ベトナム)成立、ゴ・ディンディエム大統領(10)
@自由民主党(自民党)結成。A第3次鳩山内閣成立。B日米原子力協定調印(11)
@原子力基本法・原子力委員会設置法公布。
A経済審議会、経済6ヶ年計画案答申(12)
神武景気(55年下期〜57年上期)
<1956年>
神武景気(55年下期〜57年上期)
スーダン、共和国として独立(01)
@国産ジェット機初の試験飛行。
A万国著作権条約公布。
B中国、「百花斉放、百家争鳴(科学・芸術の発展)」提唱(01)
@モロッコ、チュニジア、仏より独立。Aパキスタン、共和制に移行。イスラム共和国成立(03)
日中文化交流教会発足(03)
中ソ経済援助協定(04)
鳩山一郎、自民党初代総裁に(04)
米、ビキニで初の水爆投下実験(05)
@日ソ漁業条約調印。
A日本、フィリピンと賠償・経済開発借款公文調印(
*1)。原子力3法公布(05)
@売春防止法公布。
A新日本窒素肥料(チッソ)水俣工場付属病院より原因不明の患者発生が保健所に報告(
水俣病公式確認)(05)
憲法調査会法公布、施行(06)
@軍用地接収反対で、沖縄で島ぐるみ闘争開始。A新教育委員会法(任命制に)公布(06)
エジプト、スエズ運河会社の国有化宣言(07)
第10回経済白書「もはや戦後ではない」発表(07)
中国、党大会で工業国への転換宣言。8全大会(党内民主主義・集団指導原則)(09)
原子力開発利用長期基本計画(原子燃料供給・原子炉建設等) 制定(09)
@第2次中東戦争開始。イスラエル軍、エジプト侵入。
Aハンガリー暴動(ソ連軍出動で制圧)(10)
国連緊急総会、英仏・イスラエル軍のスエズ即時撤退を決議(11)
@スト規制法存続決議案、恒久立法として成立。
A国連総会、日本の
国連加盟可決。
B日ソ共同宣言調印(国交回復、賠償請求権を放棄)。
C石橋湛山内閣成立(12)
ソ連から最後の集団引揚者、舞鶴入港(12)
<1957年>
神武景気(55年下期〜57年上期)
中ソ共同宣言(01)
@日本、ポーランド及びチェコと国交回復調印。A第1次岸信介内閣成立(02)
「米合衆国土地収用法」公布(02)
原爆被害者の医療法公布(03)
攻撃的核兵器保有は違憲、政府統一見解(04)
岸首相、戦後初の東南アジア6ヶ国歴訪(05)
英国、クリスマス島で第1回水爆実験(05)
中国、全国人民代表大会(反右派闘争展開)(06)
@立川基地拡張のための強制測量実施。A核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(計画推進・公共の安全・使用規制)公布(06)
第11回経済白書「早すぎた拡大とその反省」発表(07)
@マラヤ連邦、英連邦内で独立。Aソ連、大陸間弾道弾(ICBM)の実験成功(08)
日米安全保障委員会設置(08)
東海村の日本原子力研究所の湯沸型原子炉に原子の火ともる(08)
タイ、クーデターでピブーン失脚、ポット内閣成立(09)
@国産ロケット1号機、発射成功。A東京の人口850万人突破、世界1(09)
なべ底不況(57年下期〜58年上期)
ソ連、世界初の人工衛星スプートニク1号の打上成功(10)
@中ソ対立、ソ連共産党の平和移行論を批判。A毛沢東主席、米帝国主義は張子の虎と発言(11)
@インドネシア、オランダ資産の接収。
A米国、ICBM実験に成功(12)
日ソ通商条約調印(12)
ぶらじる丸、南米移民756人乗せ横浜出港(12)
<1958年>
なべ底不況(57年下期〜58年上期)
EEC(欧州経済共同市場)発足(01)
インドネシアと平和条約・賠償協定(約2.2億ドル)調印(01)
@米国、人工衛星打ち上げ成功。A琉球立法院、沖縄に教育基本法など教育4法を公布(01)
在日米地上軍、撤退完了(02)
@西独連邦議会、国防軍の核武装を決議。A中国、北越援助議定書調印(03)
道路整備緊急措置法公布(03)
@文部省、越境入学抑止を都道府県教委に通達。A文部省、小中学校道徳教育の実施要領を通達(03)
学校保健法公布。売春防止法施行(04)
@中国、第2次全国大会。社会主義建設採択、
大躍進運動開始。
Aレバノン、アラブ民族主義者の反米暴動、全国に拡大(05)
@第2次岸内閣成立。A日英、日米原子力一般協定締結(06)
@イラク、軍部のクーデターで、ファイサル王朝打倒。共和国樹立。A米海兵隊、レバノン上陸(07)
@通産省、基幹産業設備拡大による需要喚起策決定。A第12回経済白書「景気循環の復活」発表(07)
岩戸景気(1958/07〜1961/12)
@ギニア共和国成立、仏より独立。Aタイでクーデター、サリット内閣成立(10)
@安保改定で第1回日米交渉。
A日本、ラオスと経済技術協力協定調印(2年間で300万ドル(10億円)の生産物と役務の無償供与)(10)
@東京タワー(333m)完工。A米国、大陸間弾道弾アトラス、試射に成功(12)
<1959年>
岩戸景気(58年下期〜61年下期)
@キューバ革命成功。カストロ、バティスタ政権打倒。A北ベトナム党拡大中央委、南ベトナムの武力解放を決定(01)
原子力研究所、国産第1号原子炉起工(01)
メートル法施行(尺貫法廃止)(01)
英・ギリシャ・
トルコ、キプロス独立協定に調印(02)
チベット、叛乱勃発。中国、チベット地方政府を解散。ダライ・ラマ14世、インド亡命(03〜04)
@日米安保条約改定阻止国民会議(社会党・総評等)発足。
A日本、
カンボジアと経済技術協力協定調印(
*2)(03)
東京千鳥が淵戦没者墓苑完成(03)
@首都高速道路公団法、最低賃金法公布。A安保改定阻止国民会議、安保反対闘争のデモ実施(04)
国民年金法公布(04)
南ベトナムと賠償協定・借款協定調印(
*3)(05)
シンガポール、英連邦内独立(06)
沖縄・宮森小学校に米軍ジェット機墜落、死者21人(06)
@スペインで反政府組織「祖国バスクと自由」(ETA)が結成。Aインドネシアのスカルノ大統領、権限強化、指導される民主主義への転換(社会主義国との友好強化)(07)
第13回経済白書「速やかな景気回復と今後の課題」発表(07)
熊本大研究班発表、水俣病は現地魚介類の多量摂取による神経性疾患(原因物質として水銀が注目される)(07)
@第1次中印国境紛争。
Aハワイ、米国50番目の州に(08)
@在日朝鮮人の北朝鮮帰国協定、両国赤十字代表により調印。Aハンガリーと国交回復(08)
中共、8中全大会(大躍進運動で内部対立、林彪、国防相に)(08)
中ソ首脳会談、中ソ対立で共同声明なし(09)
@政府とインドネシア、北スマトラ油田開発の覚書に調印。A日本、ルーマニア及びブルガリアと国交回復(09)
@キューバ、米国企業の利権撤廃・用地接収。A第二次中印国境紛争発生(10)
国連総会、82ヶ国軍縮決議案採択(11)
安保阻止第8次統一行動。デモ隊2万人余、国会構内に(11)
@漁民1500人、新日本窒素水俣工場に乱入、警官と衝突。A厚生省、水俣病は魚介類摂取による中枢神経系統の有機水銀化合物による中毒性疾患と答申(11)
北朝鮮帰還第1船、在日朝鮮人975人乗せ新潟港出港(12)
@三井三池争議開始。Aチッソが水俣病患者家庭互助会と見舞金契約を締結(12)
<備考>
*1、800万ドル分を受領賠償。20年間に5.5億ドル(1980億円)の役務及び資本財の供与支払い、借款2.5億ドル(900億円)
*2、賠償請求権放棄。3年間で450万ドル(15億円)の生産物と役務の無償供与
*3、賠償3900万ドル(140.4億円)/5年間、借款750万ドル(27億円)/3年間)
語句説明・出典へ>
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三里塚に生きる DVD 2015/101960年代に始まり、現在もまだ終わらない成田空港建設反対闘争によって人生を歪められた人々の半生に迫るドキュメンタリー映画。忘れられた人々の、忘れられない物語。ヒコーキが飛んでも、オレは故郷を耕しつづける。 |
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◆日本経済の離陸
○インフレ無き経済成長
期中の日本経済は、@雇用の拡大による家計消費の増大、A堅調な政府歳入増による歳出の増加、そしてB企業の業績拡大・輸出伸長を受けて好調に推移しました。
世界の経済成長率を陵駕した経済成長を堅持して、国内総生産(GDP)総額は、およそ1.6倍と急拡大しました。この成長を支え・牽引したのは、@期中約2.5倍と拡大した企業の設備投資であり、A約1.6倍と拡大した政府の公的資本形成(生活・産業向け基盤整備)でした。
この結果、GDPに占める官民固定資本比率(固定資本/GDP)は、期中およそ7%増加して約26%となりました。
経済が急拡大する中、期央に消費拡大による輸入急増で、外貨準備急減、輸出停滞、公定歩合操作等の景気調整(なべ底景気)があったものの輸出は急回復して、その後は貿易黒字基調を継続しました。
このように、期中に景気循環はありましたが、@完全失業率が2%前後と低位安定化し、A消費者物価も前半の4%増を除き変動が無く、B家計・政府の収支も黒字基調の均衡経営で推移する、まさに、インフレ無き経済成長を実現しました。
>初期画面 図2-2 均衡の中の経済成長
☆経済成長の持続的拡大(図2-1)
- 国内総生産(GDP)は、期中約1.6倍(年平均伸び率15%弱)と急増
- 民間企業の設備投資、期中約2.5倍に
(図3-2)
- 政府歳出(一般・特別両会計の純計)約1.3倍。世帯支出約1.2倍
- 全産業の売上高は、期央の鈍化はあるものの期中約1.8倍(年平均伸び率20%弱)と急増
- 法人数、期中22%増(製造業は11%増)。雇用者数約200万人増 (図3-1)
- 輸出は、期央の鈍化はあるものの期中約1.7倍(年平均伸び率18%弱)と急進
- 株式時価総額は、期央から急騰して約3.6倍に。株価指数も後半に増勢をまして約2.3倍に
- 政府歳出(一般・特別両会計の純計)は、期中約1.3倍(年平均伸び率9%弱)と順調に増加
- 好調な歳入増を背景に、公的資本形成も、期中約1.6倍に (図4-1)
- 通貨流通高も一貫して増加、約1.6倍に
- 物価安定の中、世帯支出は、期中約1.2倍(年平均伸び率約5%)と定常的な増勢を維持
- 低失業率、雇用増を背景に世帯収入は約1.3倍と順調に増加 (図4-2)
☆均衡の中の経済成長 (図2-2)
- 持続的な貿易黒字体質への転換
- 輸出が期中約1.7倍と好調の中、輸入に対する輸出の割合は、前半は9割前後、後半は1.1倍強で推移
- 期央の輸入急増で、外貨準備高は40%程度減少するも、以降急回復して期中約1.6倍に上昇
- 財政均衡を堅持
- 政府歳出が約1.3倍と拡大する中、政府歳入(一般・特別両会計の純計)に対する歳出割合も9割弱で安定推移
- インフレ無き経済成長
- 消費者物価指数は、前半は4%程度の上昇はあるものの、後半は変動も無く安定して推移
- 完全失業率もおよそ2%前後で推移、良好な雇用環境が継続
- 前半の輸入急増(約1.6倍/2年間)による景気インパクトを、輸出抑制、金融対策(公定歩合7.3%→8.4%、銀行普通預金金利2.19%→2.56%)で景気循環を克服
(図4-1)
- 家計の黒字基調継続
- 世帯支出の拡大(約1.2倍)の中、世帯の収入に対する支出割合も、9割前後で安定的に推移
- 家計の食費構成比減(約−3%)、貯蓄支出構成比増(約4%)と生活水準が向上
(図4-2)
○技術革新と産業構造の穏かな転換
世界経済が好調に推移する中、日本の輸出も急拡大して、受け皿としての国内の産業構造も穏かに変遷していった。
第1次産業が衰退する中、第2次産業としての製造業が台頭し、その製造業の主力も@繊維産業等の軽工業からA重化学工業(石油化学工業育成5ヶ年計画(1955年))へと変容した。
期中の近代化に向けた@民間企業の設備投資は約2.5倍に拡大、A政府の産業基盤整備投資も拡大して、官民の固定資本形成比率は、構成比で約7%増加してGDPの約26%となった。
また、@製造業の技術導入件数も、化学製品分野・電気機械器具分野で約65%の高い構成比で推移、A研究投資もおよそ2倍と技術革新に向けた投資が進み、産業構造の穏かな転換と経済の高度成長に向けた離陸に拍車がかかった。
この結果、GDPに占める官民固定資本比率(固定資本/GDP)は、期中およそ7%増加して約26%となりました。
しかしながら、このような変遷過程の中で、国民所得倍増計画(1960年)などの経済成長優先という政策が、後年の社会問題となる公害問題という負の遺産も内包することになった。
例えば、産業構造の転換に伴うエネルギー資源(ご参考:有限な資源2)の転換(石炭→石油)が緩やかに進む中、@1959年の三井三池労働争議の発生(1960年解決)、そして、A炭鉱労働者の健康保持のためのじん肺法公布(1960年)、また、社会問題となった企業不祥事B「森永砒素ミルク事件(1955年)」の発生、C初めての水俣病患者の発生(1956年)、漁民の窒素水俣工場乱入(1959年)等社会問題となった数々の事件が発生しました。
>初期画面 図3-2 企業の設備投資拡大
図3-3 企業の設備・技術の近代化
☆産業構造の穏かな転換 (図3-1)
- 第1次産業の就業者比率の減少
- 総就業者数がおよそ5%増加する中、第1次産業の就業者比率は、期中約7%減少
- 第1次産業就業者数は、1350万人とおよそ12%減少
- 製造業の穏かな拡大
- 第1次産業の就業者減少を第2次産業(構成比約3%増)と第3次産業が吸収
- 第2次産業就業者数は、1190万人とおよそ19%増加
- 全産業に対する製造業売上高比率は、約37%と穏かに上昇(構成比約3%増)
- この間、製造業は売上高を約1.94倍に拡大(全産業約1.8倍)
- 繊維産業の減少基調継続(構成比)
- 製造業の売上高がおよそ倍増する中、繊維産業の製造業に占める売上高構成比は減少基調を継続
- 売上高構成比13.4%、期中4%程度の減少に (図3-2)
☆企業の設備投資拡大 (図3-2)
- 拡大する設備投資
- 好調な売上高(全産業1.8倍)、輸出高(1.7倍)の推移が設備投資を活性化 (図2-1)
- 民間企業の設備投資は、期央の鈍化はあるもののおよそ2.5倍と急拡大
- 政府歳出、世帯支出の増加と共に、国内総生産(GDP)の拡大に大きく貢献 (図2-1)
- 固定資産の形成、急拡大
- 活発な設備投資によって、全産業の固定資産の形成も順調に拡大、およそ2倍に
- 全産業に占める製造業の固定資産形成は、構成比で約46%、期中の構成比の伸び率は約4%に
☆企業の設備、技術の近代化
(図3-3)
- 研究投資の拡大
- 全研究機関の研究投資は、上昇基調の中拡大しておよそ2倍に。研究者数は約1.5倍に
- 特許出願、登録件数も穏かに上昇しておよそ1.2倍程度に増加
- 重化学工業分野の技術導入の促進
- 製造業の技術導入件数は、多少のデコボコはあるものの上昇基調の中約2.1倍に拡大
- 製造業の技術導入に占める化学製品分野の構成比は、55%前後で推移、高い構成比を維持
- 製造業の技術導入に占める電気機械器具分野の構成比は、10%前後で推移
○インフラ整備と生活水準の向上
好調な経済情勢の中、堅調に推移する国家歳入に比例して、@企業の設備投資の急拡大や、A家計支出の増勢基調と共に、B産業基盤・生活基盤に対する財政支出も、大きく拡大しました。
期中には、@東京タワーの完工や道路整備緊急措置法公布(1958年)、A首都高速道路公団法公布と黒部トンネル開通(1959年)、1960年代前半には、B東京オリンピックの開催や新幹線開通(1964年)と、インフラ整備が進められました。
また、良好な雇用環境が続く中、家計収入の増加基調の継続、消費者物価の安定等が、家計の食費関係の負担を減少させ、支出余力が高まる中、貯蓄性向の増加と共に消費意欲の拡大が進みました。
これらの消費需要は、生活の豊かさを求めて、導入期を迎えたレジャー産業や家電産業(3種の神器:洗濯機・冷蔵庫・テレビ)に向けられました。
ちなみに、テレビ放送は1953年に開始されましたが、受信契約は、@1956年に30万件を突破、A1962年3月には1000万件突破、普及率48.5%に達しました。
更になお、1960年の国民所得倍増計画(閣議決定)を追い風として、その後の大衆消費社会の到来を実現することとなりました。
>初期画面 図4-2 生活水準向上
☆歳入の増加とインフラの整備
(図4-1)
- 好調な国家財政
- 良好な経済状況の中、歳入約1.4倍、歳出約1.3倍と財政規模を拡大
- 政府歳入(一般・特別両会計の純計)に対する歳出割合も9割弱で、堅実財政を維持
- 輸入急増による期央の危機を乗り越え、およそ60%台の高い輸入支払余力(輸入額/(輸出額+外貨準備高))を保持
- インフラ整備の促進
- 好調な経済環境の中、民間の固定資本形成がおよそ2.3倍と躍進
- 政府歳入増加基調の中、生活基盤、産業基盤形成に向けた公的固定資本形成も約1.6倍と拡大
- 官民固定資本比率(固定資本/GDP)は、約7%増加して26%程度まで拡大
☆生活水準の向上と消費拡大
(図4-2)
- 世帯の収支環境の改善
- 完全失業率の低位安定の中、就業者給与、特に技術系就業者の給与が上昇(約1.3倍)
- 製造業就業者の増加と共に、世帯収入も拡大(約1.3倍)
- 世帯収入に対する世帯支出もおよそ9割前後を保持、消費拡大と家計の健全化を保持
- 家計の生活水準の向上
- 高い経済成長が継続する中、消費者物価水準は数%程度の上昇と安定化
- 世帯支出が増加(約1.2倍)する中、食費関係の構成比が減少(約−3%)、支出余力が改善
- 全国市街地地価が約2.2倍と増加する中、住居費関係費(約2%増)も増勢となるが、貯蓄支出(約4%増)の構成比も増加するなど、生活水準の改善は好調に推移
☆☆ ひと休み ☆☆
<不忘閣 秘湯堪能 (宮城 青根温泉)>
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◆語句説明、出典
○語句説明
・欧州経済共同市場(EEC、欧州経済共同体)
欧州経済共同体は、加盟国間の経済統合(関税同盟)を目的に、1957年に設立された国際機関です。先に設立された欧州石炭鉄鉱共同体(ECSC)の「防衛・政治」両共同体創設検討の中から、経済統合を優先する形で提案されました。EECは、その後加盟国を拡大し、やがて1999年に欧州共同体(EC、1967年設立)に統合、ECSCも2003年にECに統合されました。
欧州石炭鉄鉱共同体(ECSC)は、1951年のパリ条約締結で成立しました。調印国は、仏・西独・伊・ベネルクス3ヶ国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)で、その目的は、フランスとドイツ間の戦争回避と軍需物資でもある石炭・鉄鉱の共同市場(関税同盟)の創設にありました。
・ワルシャワ条約機構
1955年のワルシャワ条約によって成立した軍事同盟で、米ソ対立の冷戦期に、北大西洋条約機構(NATO)に対抗する目的で設立されました。ソ連を盟主として、東ヨーロッパ7ヶ国(アルバニア・ブルガリア・ルーマニア・東ドイツ・ハンガリー・ポーランド・チェコスロバキア)が参加。冷戦終結(1989年)と共に役割を失い1991年に解散しました。
・第2次中東戦争(スエズ動乱)
1956年のエジプトによるスエズ運河国有化宣言(7月)を契機として発生した、エジプトと英仏イスラエル連合との戦争(10月〜11月)で、世界の英仏・イスラエル連合の武力行使批判の中、国連緊急総会の停戦決議(11月)によって、連合国側が占領地(シナイ半島、スエズ運河地区)より撤退(1957年)して終結しました。
この結果、英仏はスエズ運河を失い、エジプトは、英仏銀行の国有化(1957年)を実施すると共に、アラブ諸国での発言力を高めることに成功しました。一方、イスラエルは、アカバ湾と紅海をつなぐチラン海峡の通行の保障を得て、エジプトによる経済封鎖を解除しました。
・日米安全保障条約
米国及び連合国49ヶ国との間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約。1951年署名。戦争の終結と主権の回復、放棄する領土・賠償の個別交渉等)が締結された時に、米国との間で締結された2国間の安全保障条約(旧安保条約。日本へのアメリカ軍駐留を定める。時代背景:1950年の朝鮮戦争勃発。出撃・補給基地の必要性。反共の砦。日本の経済復興優先)。
その後1960年に改定され(新安保条約)、 同時に、日米地位協定(1952年の日米行政協定を継承・改定。米軍への施設や地域の提供。施設内の特権や税金の免除。兵士の裁判権等)が締結され現在に至っています。
新安保条約は、国連憲章の武力不行使の原則の確認、自由主義の護持、各自の防衛能力の維持発展、日本の安全及び極東の平和・安全の脅威に対し随時協議、在日米軍の定め等を記載した規定で構成され、10年間の有効期間と1年前の放棄予告をつけた自動継続契約で、1970年以降も破棄されず現在も効力を持っています。
・安保闘争
旧安保条約(1951年署名)の改定交渉期(1959年〜1960年)と新安保条約の自動更新期(1970年)の2度にわたり発生した反対運動。労働者・学生・市民が参加した空前の規模の反戦・平和運動であったが、過激な暴力(火炎瓶・鉄パイプ等)を伴う暴動的な行動を伴った。60年安保闘争では、デモ隊の国会構内乱入(1959年)、衆院での強行採決、全学連と警察隊の衝突・大学生樺美智子の死亡、岸内閣総辞職、池田内閣の衆議院総選挙で、自民党議席拡大(1960年)等があった。
70年安保闘争では、「安保延長阻止」を訴え、全共闘や新左翼諸派の学生運動(1968年〜1969年。東大闘争、日大闘争、佐藤首相訪米阻止等)が全国的に展開され、機動隊と衝突(ヘルメット・ゲバ棒・火炎瓶)した。しかし、安保延長反対の運動は、国民的世論の盛り上がりにも欠け、1969年12月の総選挙で佐藤首相率いる自民党が議席数を伸ばし、社会党は大敗を喫した。
安保改定の内容は、内乱に関する条項の削除、日米共同防衛の明文化、在日米軍の配置・装備の事前協議等で、従来の米軍への基地提供から日米共同防衛を義務づけた、より平等な条約への改定であったが、日本が戦争に巻き込まれる危険がより高くなったとして反対運動が高まった。
・日ソ共同宣言
日ソ間で1956年に締結された国交回復・関係修復の条約。内容は、戦争状態の終結、外交関係の回復、自衛権の尊重、相互不可侵の確認、日本の国連加盟の支持、戦争犯罪者の帰還、損害賠償請求権の放棄等で、北方領土問題は、平和条約締結交渉(締結後、歯舞群島・色丹島を返還)の継続で先送りに。
時代背景としては、1945年8月に日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告後、満州国・朝鮮半島北部・南樺太・千島列島全域等を占領、終戦後の両国の関係は、米国の日本占領統治の中希薄化。しかし、1948年の日ソ間の民間貿易協定締結後に、ソ連が併合宣言した占領地の島民・居留民・シベリア抑留者の日本への帰国事業は継続。1950年の中ソ友好同盟、朝鮮戦争勃発(日本の後方支援基地化)、米国の日本統治政策(反共の砦)等の関連で、1951年のサンフランシスコ平和条約の調印を拒否、両国の接点は喪失状態に。
しかし、1955年の交渉再開が北方領土問題で難航し、日本の国連加盟への拒否権発動を経て、日ソ漁業交渉の決着(1955年)、領土問題先送りの交渉の中「日ソ共同宣言」が成立することに。
○出典
・総務省統計局:日本の長期統計系列
・内閣府:経済財政白書
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