世界遺産 スペイン編2 DVD 2005/6
スペインにふたたびスポットを当て、ヨーロッパ随一の広大な椰子園が広がるエルチェや、イスラム文化の影響が色濃く残るコルドバ地区などを紹介
スペイン巡礼 緑の大地を歩く 2019/4 渡辺孝(著)
ピレネーの荘厳な夜明け、眼下にどこまでも続く緑の巡礼路。そして多くの出会い。千年以上の歴史を持つスペイン巡礼。思い立ってこれに挑んだシニア男性の一人旅
世界の名作絵画 スペイン編 Blu-ray Disc
ヨーロッパ3大美術館の1つとして知られてきたプラド美術館。そこから名画40点を厳選し、心地よいBGMとやさしい解説ナレーションでご紹介
初めての海外旅行特集
海外旅行 初心者におすすめの国をランキングでご紹介

スペイン旅行
溢れる陽光と悠久の歴史 (2001/10)

主な写真   旅行地図   観光地概要   建国略史 

昔の写真を埋もれたアルバムより引っ張り出して、ネガフィルムよりデジタル画像化してみました。2001年秋のスペインです。写りはあまりよくありませんが、楽しんでいただければ幸いです。

・期間:2001年10月17日より11日間

・工程
マドリッド←→トレド/セゴビア。マドリッド→コルドバ→グラナダ→ミハス→コスタ・デル・ソル(マルベーリャ)→ロンダ→セビリア→バルセロナ

・備考
振り返れば非常に感動と感激が多かった旅行でした。悠久の歴史が自然の中に融けこみ、時間が止まっているかのように残されている様は、これからもいつまでも記憶の中に留まっていることでしょう。

きびしい陽光、地中海で釣りを楽しむ人々、なんとお安い庭園付き住宅(当時)、あちこちに散見された建設中のマンション、散策ですれ違う陽気で端麗なスペインの人々、3度のフラメンコ・ショー観賞等、できれば再度の来訪に挑戦したい気持ちになります。

 

戻り> 写真一覧

 

◆観光地の主な写真

 

1 ドンキホーテ:マドリッド 2 プラド美術館:マドリッド 3 大聖堂:トレド 4 旧市街:トレド 5 アルカサル:セゴビア 6 ローマ水道橋:セゴビア
7 メスキータ:コルドバ 8 ローマ橋:コルドバ 9 花の小路:コルドバ 10 旧市街:グラナダ 11 アルハンブラ宮殿:グラナダ 12 ハーレム:グラナダ
13 市街:マルベーリャ 14 地中海の朝陽:マルベーリャ 15 旧貴族の館:ロンダ 16 崖上の旧市街:ロンダ 17 大聖堂より:セビリア 18 ヒラルダの塔:セビリア
19 スペイン広場:セビリア 20 大聖堂:バルセロナ 21 グエル公園:バルセロナ 22 聖家族教会:バルセロナ 23 崖上の修道院:モンセラート 24 奇岩:モンセラート

 

◆スペイン旅行の経路

 

 



失われた文明 空から見たインカ・マヤ・アステカ 悠久の古代文明紀行 DVD 2007/8
今でも多くの謎と伝説に満ちている三大文明、マヤ文明、インカ文明、アステカ文明に迫り、都市を空から眺め、それぞれの特徴とその歴史を解明
アステカとインカ 黄金帝国の滅亡 2020/11 増田義郎(著)
一六世紀、スペイン人によるアメリカ大陸征服史が始まる。栄華を誇った帝都と文明は、いかに滅ぼされたのか。敗者の視点から再検証・・
暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病 2019/6 ウォルター シャイデル(著)他
平等化に有効だった戦争と革命は、20世紀の現象だった。石器時代から現代まで、壮大なスケールで世界各国の不平等の歴史を描き出す・・
カメラ・ビデオカメラ おすすめ情報
人気のミラーレス一眼カメラ、ビデオカメラをはじめ、フィルターやスタンドなどのカメラ関連のアクセサリなど、充実のラインアップ

 

◆観光地の概要

 

観光地 概      要
マドリッド
  マドリッドは、スペイン王国の首都(人口300万人超)で、イベリア半島のほぼ中心部に位置した近代的な文化都市です。首都としての歴史は比較的新しく、スペイン王国成立後およそ80年を経て、フェリペ2世が王宮をマドリッドに移し、首都としました(1561年)。

  観光ポイントとしては、プラド美術館・国立ソフィア王妃芸術センター等の美術館、王宮(18世紀ブルボン朝時代のコレクション)、プエルタ・デル・ソル(太陽の門、広場)・マヨール広場等の街の散策、闘牛(ラス・ペンダス闘牛場)、フラメンコ等。

  イベリア半島の支配の歴史は、第2次ポエニ戦争(紀元前218〜201年、ローマ対カルタゴ)後にローマの支配下(およそ600年間)に入り、その後、西ゴート王国の建国(507年)、北アフリカのイスラム王朝の支配(711年、首都セビリア→コルドバ)、後ウマイヤ朝分裂後(1031年)のレコンキスタ(キリスト教国の再征服運動 その軌跡)加速、カスティーリャ王国(首都トレド)とアラゴン王国(首都サラゴサ)の姻戚連合によるスペイン王国誕生(1479年)、イスラム最後の王朝グラナダ王国滅亡(1492年、首都グラナダ)でイベリア半島よりイスラム勢力を一掃してレコンキスタが完了しました(その他:イスラム帝国の出現)。

● 写真: 王宮1   王宮2   
車窓1
プラド美術館
(マドリッド)
  豊富なコレンクション(8000点超)を保有、ルーヴル美術館・エルミタージュ美術館と並ぶ世界の三大美術館のひとつ。3つの門には、ゴヤ、ベラスケス、ムリーニョの像が。ゆっくり見るには1日程度必要。館内は撮影不可。
スペイン広場
(マドリッド)
  グラン・ビア(幹線道路のひとつ)始発点にある広場。セルバンテスの記念碑、ドン・キホーテとサンチョ・パンセの像があります。後背にスペインビル・左にマドリッド・タワーが映ります。
王宮
(マドリッド)
  イスラムの城塞(1734年火災焼失)跡に、バロック様式を中心として建設(1764年完成)。150m四方の建物に2,800もの部屋・ベルサイユ宮殿の鏡の間を模した玉座・多数の王室コレクション等所蔵。周辺には、アルムデーナ大聖堂・オリエント広場・エンカルナシオン修道院等があります。
プエルタ・デル
・ソル
(マドリッド)
  太陽の門という意味を持つ広場(略称ソル)。騎馬像が立ち、デパートもあり、ここからは、各地に9本の道路が延び、徒歩圏で東にプラド美術館、西に王宮を望み、しかしながら、下町的な雰囲気が漂う場所です。
ソフィア王妃
センター
(マドリッド)
  スペインの近代及び現代美術を中心に1万点以上を収集。スペイン内戦時のゲルニカ無差別爆撃を描いた、ピカソの「ゲルニカ」が有名。歴史建造物として文化財指定を受けたサン・カルロス病院を改修して、1986年にオープン(敷地8万km2超)。
トレド
  トレドは、首都マドリッドの南方約71kmにあり、タホ川に面した、カスティーリャ・ラ・マンチャ州の州都(人口約60万人)になっています。かつて、6世紀の西ゴート王国、レコンキスタ期のカスティーリャ王国、15世紀のスペイン王国の首都として繁栄しましたが、1561年の遷都に伴い、政治・経済の中心はマドリッドに移りましたが、スペイン・カトリックの総本山の「カテドラル」があることより、宗教の中心地としての地位を保っています。

  また、中世のイベリア半島の覇権争いの中、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯して、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産登録(1986年)されました。また、スペイン絵画の3大巨匠(ベラスケス、ゴヤ)の一人であるギリシャ人画家エル・グレコが、愛し定住した街としても有名になりました。

  観光ポイントは、カテドラル、アルカサル、サント・トメ教会等を擁し、中世の雰囲気を残す旧市街地の散策。

● 写真: 大聖堂1   旧市街1
旧市街2

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<一景 ある春 (群馬 尾瀬ヶ原)>

 

サント・トメ教会
(トレド)
  「カテドラル」から徒歩5分。ムデハル様式(キリスト教支配下のイスラム教徒が生み出した様式)の華麗な塔を持ち、エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」が所蔵されています。
カテドラル
(トレド)
  「太陽の門」から徒歩6分。スペイン・カトリックの総本山といわれ、スペインのカテドナルの中でも最大規模を誇っています。フェルナンド3世によって建設(1226年〜1493年)されたゴシック様式のカテドラルで、壮大な聖堂の中には、彫刻・絵画(エル・グレコの「聖衣剥奪」や「十二使徒」等)など宗教芸術が数多く展示されています。
セゴビア
  セゴビアは、マドリードの北西約91km、カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県の県都(人口約6万人弱)で、ローマ、イスラムの支配の後、11世紀にカスティーリャ王国の支配下に入り、キリスト教徒の殖民が始まり、羊毛や毛織物の産業が発展し、中世の終わり頃には最盛期を迎えました。

  今でも、中世に築かれた城壁が、長く狭い高台の上にある旧市街を囲むように残っています。そして、「セゴビア旧市街と水道橋」は、ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録(1985年)されています。

  観光ポイントは、古代ローマの水道橋、ゴシック様式のカテドラル、「白雪姫」のお城のモデルとなったアルカサルス、ロマネスク様式のサン・エステバン教会、郊外のラ・グランハ(宮殿)が観光名所となっています。

アルカサル
(セゴビア)
  マヨール広場から徒歩15分。アルカサルスは旧市街の西端、エレスマ川とクラモレス川の間の岩山に建てられている城で、その優雅な概観から、ディズニー映画「白雪姫」の城のモデルになったといわれています。

   イサベル女王の即位式やフェリペ2世の結婚式も行われた居城で、ドン・ジュアンの塔からは、セゴビアの街を一望できます。
カテドラル
(セゴビア)
  マヨール広場から徒歩1分。16世紀にコムネロスの反乱で破壊された後、再建された後期ゴシックの様式を持つ聖堂で、その繊細かつ優雅さからカテドラルの貴婦人と呼ばれています。
古代ローマの
水道橋
(セゴビア)
  ヨーロッパ各地に残るローマ水道橋の中で、最も美しい橋の一つで、紀元1世紀ごろに造られたスペイン最大規模の水道橋(全長728m)。接着剤を使用せず、花崗岩のブロックを積み重ねただけの2段アーチ型で、アセベタ川の水を当地に引き込み、現在も水路として利用されています。
コルドバ
  マドリッドより新幹線AVEで約1.5時間。マドリッドの南方約407km、グラナダの北西約166kmにあり、グアダルキビール川に面するアンダルシア地方の中心的な都市(人口約31万人)で、オリーブや小麦、綿花の産地として、また、初夏の一面に咲き誇るヒマワリの花でも良く知られています。

  古代ローマ時代よりアンダルシアの中心として栄え、8世紀のイスラム支配の時代には首都として栄華を極め、人口100万人、300を超えるモスクを擁し、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の3つの文化が共存・融合する、世界の中心として繁栄しました。

  しかし、レコンキスタの進展と共に衰退して、当時の面影は、世界遺産として登録(1984年)されたメスキータ、ユダヤ人街などの「コルドバ歴史地区」の中に見ることができます。

  観光ポイントとしては、メスキータ、ユダヤ人街花の小路、ローマ橋等が有名です。

メスキータ
(コルドバ)
  鉄道の駅より徒歩20〜25分。メスキータは、モスク(イスラム教寺院)のことで、西ゴート王国の聖ビセンテ教会(カトリック教会)の跡地に、イスラム王朝のラフマーン1世によって建立(780年)され、数度の拡張を経て現在の規模(2.5万人を収容)となりました。

   そして、13世紀のレコンキスタの後に、キリスト教会に転用され、コルドバ歴史地区として世界遺産に登録(1984年)されました。
ローマ橋
(コルドバ)
  メスキータから徒歩2分。古代ローマ時代に建設された橋で、戦火の度に破壊と・修復を繰り返し、現在の橋は、イスラム支配後のレコンキスタを経て修復されたものです。
ユダヤ人街
(コルドバ)
  メスキータから徒歩3分。メスキータの北側一帯が、細い小道が複雑に入り組んだユダヤ人街で、シナゴガ(ユダヤ人教会、スペインに現存する3つのうちの1つ)が残っています。また、付近には花が咲き誇る白壁の迷路で有名な「花の小路」があります。
グラナダ
  マドリッドから飛行機で約55分、空港から市内まで約17km。コルドバの南東約173km。スペイン南部アンダルシア州グラナダ県の県都(人口約24万人)で、古代ローマ、イスラム王朝の支配の中発展を続け、13世紀のナスル朝グラナダ王国建国(首都グラナダ)で最盛期を迎え、有名なアルハンブラ宮殿もこの頃に建築が開始されました。

  その後250年間、経済・文化・芸術など多くの分野で興隆しますが、レコンキスタの最終段階に入る15世紀末に、イベリア半島の最後のイスラム教国として、グラナダ王国は落城・滅亡しました。

  市街は、アルハンブラ、北西のアルバイシン(最も古い地区、アルハンブラを一望)、北東のサクロモンテ(ロマ(ジプシー)の暮らす地区)の3つの丘と、西方のカテドラルを中心に広がる繁華街で構成され、観光の中心はアルハンブラ(宮殿、夏の離宮)、アルバイシンとなり、世界遺産にも登録(1984年)されています(ご参考:日本人旅行者ランキング、スペインは欧州地区で第8位)。

● 写真: アルハンブラ宮殿(中庭1
中庭2   庭園1)  

サクラモンテの丘
アルハンブラ
宮殿
(グラナダ)
  ヌエバ広場から徒歩20分(グラナダ門経由)。13世紀前半に建築が開始され、14世紀後半に現在の姿に整えられました。宮殿は、大きく分けて、王宮・カルロス5世宮殿(16世紀に建設、19世紀に現在の形に)・アルカサバ(城塞)・ヘラリーフェ(離宮、王宮の東、徒歩10分)で構成されています。
コスタ・デル
・ソル
  マルベーリャは、グラナダの南西約196km。スペイン南部アンダルシアのネルハ近辺からエステポナぐらいまでの、およそ200kmに及ぶ地中海沿岸地域で、温暖で年間の晴天率が高く太陽海岸と呼ばれています。

   西部は開発が進み国際リゾート地として賑わい、東部に行くほど落ち着いた街並みとなります。背後には、ロンダ山脈・ネバダ山脈等のベティカ山系が走り、美しいビーチとあいまって風光明媚な景色が広がっています。

   主要な町は、ロンダ、ミハス、マラガ、トレモリノス、アルヘシラス、マルベーリャなどがあります。トレモリノスマルベーリャが中心で、トレモリノスは、マラガ空港からタクシーで約15分、マラガ市内まで近郊電車でおよそ20分と便利な環境にあります。
白い村ミハス
(コスタ・デル
・ソル)
  フェンヒローラからバスで約25分。標高450mの山の斜面に、白い壁を持つ家々が整然と並び、美しい街並みを見せており、青く透き通った地中海とのコントラストは、絶妙の景観を創出しています。

   岩をくり抜いて造られたビルヘン・デ・ラ・ペーニャ教会、四角い闘牛場、ミニチュア博物館等、1時間程度でミハス村1周が可能となります。

● 写真: 白い街並み
ロンダ
(コスタ・デル
・ソル)
  マルベーリャよりおよそ60km。ロンダ山地を流れるグアダレビン川が作る深い峡谷の岩山に広がる街(人口約3.6万人)で、新旧市街を有名なヌエボ橋(橋下100mの絶壁、1793年建設)がかかっています。

  旧市街には、1485年まで続いたイスラム支配の名残があちこちに散見されます。観光は、良好な展望のアラメダ・デル・タホ公園、感動的な景観のヌエボ橋、スペイン最古の闘牛場等街の散策で2時間程度。

● 写真: 旧市街1   
旧市街の小路   ヌエボ橋

教会1   闘牛場
セビリア
  ロンダの北西約250km。飛行機でマドリッドより1時間、バルセロナより1.5時間。新幹線AVEで、マドリッドより2.5時間。

  スペイン南部のアンダルシア州の州都、グアダルキビール川沿いの中核都市(人口70万人)で、古代ローマ時代よりアンダルシアの中心都市の一つとして栄え、一時期には西ゴート王国の首都、レコンキスタ後の大航海時代には、新大陸との交易港として大いに活況を呈しました。

  観光は、世界遺産登録(1987年)されたカテドラル、アルカサル(王城)、インディアス子文書館と、街のシンボルでもあるヒラルダの塔、本場としての闘牛場、春祭りフェリア(スペイン三大祭のひとつ)、本場フラメンコ・ショー等が有名。

カテドラル
(セビリア)
  バスターミナルから徒歩10分。イスラムのモスク跡に建築されたゴシック様式の大聖堂(1402年から1世紀かけて建築)で、サン・ピエトロ寺院(ローマ)、セント・ポール寺院(ロンドン)に次ぐヨーロッパで三番目の規模(116m×76m)の寺院

   南側の門近くには、巨人像に担がれたコロンブスの墓が鎮座、美術館顔負けの豪華なコレクションも保有。
ヒラルダの塔
(セビリア)
  バスターミナルから徒歩10分。カテドラルに付設された高さ98mのイスラム様式の鐘楼。12世紀末のモスクのミナレット(尖塔)で、70mから上の鐘楼部分を16世紀にキリスト教徒が追加、頂上の青銅の女性像が風向によって向きを変えることからヒラルダ(風見鶏)の名称が。

   塔の内部には階段が無く、スロープが展望台まで続き、セビリア市街の眺望は絶景といわれます。
マリア・ルイサ
公園、
スペイン広場
(セビリア)
  カテドラルから徒歩10分。かつてサン・テルモ宮殿(19世紀に建設)の施設の一部であった、市南部に位置する緑豊かな公園。

   園内には、万国博覧会(1929年、セビリア開催)の会場として建築された、両端に2つの塔を持つ、大きな半円形の建物に囲われたスペイン広場があります。
サンタクルス街
(セビリア)
  カテドラルより徒歩5分。カテドラルの東側に広がる旧市街の情緒を残した街(かってのユダヤ人街)で、迷路のような小路、白い壁の古風な家々、色鮮やかな花々等魅力溢れる散策エリアとなっています。
フラメンコ
(セビリア)
  セビリアはフラメンコの本場で、レベルの高いフラメンコを満喫できます。サンタクルス街にあるロス・ガリョスや、マエストランサ闘牛場近くのエル・パティオ・セビリャーノなど。
バルセロナ
  セビリアより飛行機でおよそ1.5時間。空港からカタルーニャ広場まで、バスでおよそ35分。スペイン北東部のカタルーニャ州の州都、首都マドリッドに次ぐ第二の都市(人口約170万人)で、フランスとの国境ピレネー山脈より南に160kmに位置します。1992年には、バルセロナオリンピックの開催地となりました。

  その歴史は、8世紀初頭にイスラム勢力に征服された後、フランク王国によって奪還され、一時フランク王国の支配地となりましたが、9世紀末に独立して、やがてアラゴン連合王国を構成して、アテネに至る地中海を支配、15世紀にカスティーリャ王国と統一王朝「スペイン王国」を形成して、レコンキスタを完遂しました。

  観光の見所は、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)とグエル公園、グラシア通りの2つのガウディ建築、ゴシック地区のカテドラルと散策、ピカソ美術館、モンジュイックの丘(バルセロナオリンピックのメイン会場)がお勧めコースに。

聖家族教会
(バルセロナ)
  地下鉄2/5号線サグラダ・ファミリア駅から徒歩1分。バルセロナのシンボルといえるガウディの未完の大作で、生前に完成したのは、地下聖堂と後陣、生誕のファサードのみ。

   死後、工事は一時中断しましたが、1940年に再開、3つのファサードと8本の鐘塔が完成して、一般の寄付を財源に、現在尚建築中

 

      

 

グエル公園
(バルセロナ)
  地下鉄3号線Lesseps駅から徒歩15分。資産家グエルが準備した15haの住宅地を、ガウディが庭園住宅として設計したもので、現在は、市の公園として解放。

   お菓子の家、色とりどりの破砕タイルを使ったベンチ、トカゲの噴水、市場の天井、バルセロナ市街や地中化の展望等ファンタスティックなガウディの世界が観賞できます。
モンジュイック
の丘
(バルセロナ)
  地下鉄エスパーニャ駅からエスカレータに乗って徒歩で。スペイン広場の前の広々したモンジュイックの丘の上には、中世のカタルーニャ・ロマネスク美術を集めたカタルーニャ美術館、裏手にはバルセロナ・オリンピック・スタジアムがあります。

   そして、 スペイン各地の有名な建造物のレプリカが見られるスペイン村、ミロ美術館、野外劇場のグレッグ劇場、モンジュイック城等も近くにあり、また、展望台からは、バルセロナ市街が一望の中に見ることができます。
モンセラ修道院
(モンセラート)
  バルセロナ・スペイン広場からカタルーニャ鉄道で約1時間。モンセラート駅でロープウェイに乗り換え終点まで約7分。バルセロナの北西約60km、灰白色の奇岩が連なる標高1235mのモンセラートの中腹にあるベネディクト派の修道院(11世紀の建造)。

   聖母マリアの信仰の聖地として、多くの巡礼者が訪れ、12世紀にサンタ・コバ洞窟より発見されたラ・モレネータと呼ばれる黒いマリア像が有名。19世紀にナポレオン軍の侵攻で破壊され、現在の建物は19〜20世紀のもの。

   また、エスコラニアと呼ばれるヨーロッパで最も古い少年合唱団も、その澄んだボーイソプラノが天使の歌声として有名。

● 写真: 修道院1   修道院2
遠景1

 

◆スペイン王国の概観

スペインの統一国家としての歴史は、イベリア半島に、レコンキスタ終盤の1492年にスペイン王国が建国され、日の沈むことのない帝国として栄華を極め、その後の衰退の中、内戦の時代(1936年〜1939年)、フランコ独裁政権(1939年〜1975年)、王政復活・民主化を経て現在に至っています。そして、1986年にEUに加盟、2002年にユーロを導入し、その経済は、1994年以降2007年まで、名目GDP成長率が概ね2%〜5%の間で推移しており、現在、名目GDP規模で世界9位(2008年、日本2位)、一人当たり名目GDP規模で20位(2006年、日本18位)と大きく発展してきました。

昨今の経済成長は、堅調な消費需要・高い持家志向による住宅需要の拡大、EU加盟による資本流入の促進・金利低下等が貢献してきていますが、2007年の半ば以降、住宅建設部門の低迷等で経済は減速し、世界的な金融・経済危機の影響も受け、世界の他の国と同様に成長率や失業率が悪化しています。2008年の名目GDP成長率は1.2%(2007年3.7%)、2009年は−2%の予想に。インフレ率は2007年の2.8%から2008年4.1%、2009年0.6%、失業率は8.3%から11.3%、2009年16.1%となる見通しがでています。

また、その他に、「バスク祖国と自由(ETA)」の停戦破棄・テロ再開(2007/06)、経済好調期の移民推進策、カタルーニャ等地方自治拡大要求、対米重視外交の転換(イラクより撤兵:2004/05)、国連重視政策(国連分担金拠出額:G7に次ぐ世界第8位)・ODA拡大政策(2012年までにGDP比0.7%、2007年実績GNI比0.41%)等経済停滞の中、対策を要する多くの課題も抱えています。

そして、日本との関係では、欧州で最も長い友好の歴史(1549年のフランシスコ・ザビエルの日本への渡来以来450年以上)を持つ国の一つであり、その関係も良好に推移しており、スペインの「アジア大洋州プラン(2005〜2008)」(2005/12発表)では、日本をアジアにおける第一のパートナーと位置づけ、その一環として、スペイン語、スペイン語圏の文化の普及を主な活動目的とする、セルバンテス協会東京事務所が正式に開設(2008/11)されました。日本の対スペイン直接投資も残高ベースで、スペインの対日直接投資のおよそ17倍の約2000億円(2007年末)となっています。

 

図2-2 貿易・為替  図2-3 旅行者数  図2-4 残留邦人数  図2-5 物価

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<さて・・ (茨城 袋田の滝)>

 

スペインの昨今
年代 出 来 事
2009
ゴヤの「巨人」、実は弟子の作品 プラド美術館近く公表(01)
スペイン、コソボから撤兵表明 独立に反対の立場崩さず(03)
北朝鮮がミサイル発射、日本上空を通過(04)>
<北朝鮮、「6者脱退」と表明 安保理議長声明に反発(04)>
<北朝鮮「地下核実験に成功」 06年10月以来2度目(05)>
スペイン・バスクに初の「反独立」首相 緊張高まる恐れ。ETAのテロ行為への反感か(05)
2008
スペイン議会総選挙、接戦を制して社会労働党比較第1党で政権を継続(03)
人類、定説より50万年早く欧州へ…スペインで証拠の化石(03)
<中国、チベット騒乱拡大。 欧州各地で抗議デモ(03)>
住友商事、スペイン領カナリア諸島で太陽光発電(05)
<北朝鮮、核放棄に応じない姿勢…6か国協議に向け強硬姿勢(06)>
<カンボジア、ポルポト大虐殺裁く特別法廷、ようやく9月に開廷(日本など資金援助)(06)>
EU、移民規制を強化 不法滞在の審査厳格化へ。05年にはスペインが約70万人の不法移民に就労査証を与え、論議を呼んだ。(07)
来春、スペイン内戦(注1)終結70年。「非難はしない。名誉回復を」(07)
マドリードの航空機事故、153人が死亡・生存者は19人。操縦士ら、人不足や老朽化再三警告 スペイン旅客機事故(08)
2007
スペインのユーロ紙幣、9割超がコカイン汚染?。スペインは47万4000人のコカイン常習者を抱える(01)
<衛星破壊実験、中国、宇宙軍拡を招く(01)>
トルコ、首都アンカラで自爆テロ、死傷者100名以上(05)>
スペイン領カナリア諸島で森林放火? 1万4千人避難(08)
スペイン北部バスク地方の分離独立を唱える過激組織「バスク祖国と自由(ETA)」がテロ再開宣言、4件で犯行声明 スペイン(09)
<北朝鮮の核問題、6者会議で合意(10)>
スペイン、「歴史の記憶法」成立。スペイン内戦(注1)と独裁期に迫害と暴力を受けた人々のための権利承認と補償を実施(10)
2006
<イラン核、米英仏と中露依然隔たり(石油権益)(05)>
<インドで同時列車テロ発生(06)>
<朝鮮、地下核実験(10)>
2005
地球温暖化、スペインでは観光ビーチの多くが消失も(02)
<ロンドンで同時多発テロ発生(07)>
訪問者増え、上半期6%増の3150万人、スペイン観光業が好調(08)
<トルコ、EU加盟交渉開始(10)>
スペインのアジア大洋州での影響力拡大を目的とした「アジア大洋州プラン(2005年-2008年)」を発表(12)
2004
スペイン、マドリードで列車同時爆破テロ(03)
スペイン議会総選挙、列車テロの影響で攻守逆転、社会労働党が第1党に躍進、8年ぶりに政権奪取(03)
スペイン、イラクより撤退完了(05)
<台湾(歴史参照   旅行体験)の独立志向、中国、軍事・経済両面で圧力(06)>
スペイン、住宅市場の加熱と貯蓄率の低下。景気減速の徴候が出現(10)
2003
<第2次湾岸戦争、イラク政権崩壊(03)>
<北の核、日米韓中露朝6者会議(08)>
<トルコ、 イスタンブールで自爆テロ、新米世俗主義標的(11)>
2002
スペイン、ユーロ導入(01)
東ティモール、インドネシアから独立。東ティモール民主共和国成立(05)>
<インドネシアのバリ島でテロ発生、187人死亡(2005/10にも発生)(10)>
<国連安保理が、イラクに大量破壊兵器査察、廃棄決議採択(11)>
2001
ポル・ポト派幹部(70年代のカンボジア大虐殺に関与)を裁く特別法廷設置(01)>
<米で同時多発テロ事件発生(09)>
<タリバン政権、崩壊。アフガンに暫定政権誕生(12)>
中国 ・ 台湾、WTO加盟(12)>
2000
スペイン議会総選挙、好調な経済を背景に国民党が勝利(03)
韓国・北朝鮮、南北共同宣言(金大中、金正日両首脳)(06)>
<トルコ、金融危機(11)>
  注1スペイン内戦 1936年〜39年。反ファシズムを旗印とする共和国(人民戦線)と 反コミュニズムを掲げる反乱軍(国民戦線)の戦い。人民戦線をスターリンのソ連、国民戦線をヒトラーのドイツ、ムソリーニのイタリアが支援。フランコ率いる国民戦線が勝利。フランコは軍事独裁体制を確立、人民戦線の残党狩りを徹底的に行い、同時にスペインからの分離独立を志向するカタルーニャとバスクの言葉を奪った。この軍事独裁体制は1975年のフランコの死まで続いた。

 



サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ DVD
伝説のフラメンコ・コミュニティに深く入り込み、迫害の歴史、洞窟の破壊という悲しみの過去を乗り越え、激動の時代を生き抜いてきた・・
スペイン内戦 1936〜1939 (上) 2011/2 アントニー・ビーヴァー(著)
通説をくつがえす新たな通史の誕生。第二次世界大戦の前夜に、軍事クーデタに始まり代理世界戦争に拡大した、二十世紀を象徴する戦いを詳述し、スペインで絶賛、欧米でベスト&ロングセラー。
ROME [ローマ] コレクターズBOX ケヴィン・マクキッド DVD
物語は、ガリアを征服したジュリアス・シーザーが、ローマ社会の大変革という野望を持ってローマに帰国する直前から始まる。前半では、シーザーが帝国の礎を築きながらも、倒れるまでを。後半はオクダヴィアヌスがシーザーの遺志を継いで・・
旅行用品 おすすめ情報
スーツケース、キャリーバッグ、旅行かばん、ポーチ、小分けバッグといった人気ジャンル商品を充実の品ぞろえ。

 

      

 

◆スペイン王国の観光に際して

基本情報
○時差・飛行時間
  時差は標準時間で−8時間、夏時間で−7時間。日本の13時(午後1時)は、夏時間でスペインの朝6時(13−7=6)。スペインの夏時間は、3月の最終日曜から10月の最終土曜まで

所要時間:欧州経由でおよそ10数時間。参考:東京→アムステルダム(5時間弱)、待ち時間(約3時間)、アムステルダム→マドリッド(2.5時間程度)
○通貨と両替
  通貨単位:ユーロ、補助通貨:ユーロセント
1ユーロ=100セント=約165円(2007/06現在)、約135円(2009/05現在)
紙幣7種(5、10、20、50、100、200、500)、硬貨8種
○その他
  物価:経済成長とユーロ導入で、マドリッドやバルセロナの物価は東京と同じかそれ以上
チップ:レストランの食事では、料金の5〜10%程度。ホテルのコンシェルジュやポータに用事を頼んだ時は1ユーロ程度。有料公衆トイレでは係員に0.2〜0.5ユーロ程度。

日本よりもマグネシウムが多い硬水なのでお腹を壊すことがあります。水はミネラルウォータが無難。
電圧:220V。コンセントのプラグ形式は、CタイプとSEタイプ。100V製品を持ち込む場合は、変圧器が必要

スペインの水道の蛇口は、ラテン語式で「C」と「F」で表示、「C」はお湯が出ます。
教会や修道院、宗教施設に入る場合は、タンクトップやショートパンツといった服装は控えます。

シエスタ(昼寝)があり、一般に午前は10時から14時、午後は16時から20時頃の営業。土曜は午前中のみ。レストランの夜の営業は、遅めの20時から24時頃の店が多いようです。

被害を防ぐために:財布は外から見えないように。高額の買物はクレジットカードで。大通りでATMを使わない。服装は地味に。パスポートはホテルのセーフティーボックスに保管(カラーコピーを持参)

 

スペインの気候
都市名 項目 1月〜3月 4月〜6月 7月〜9月 10月〜12月
東京 最高気温
(℃)
7〜10 16〜24 28〜25 20〜10
最低気温
(℃)
1〜5 11〜18 22〜19 13〜3
降水量
(mm)
45〜100 125〜185 126〜180 164〜46
バルセロナ 最高気温
(℃)
13〜16 18〜25 28〜25 21〜11
最低気温
(℃)
6〜9 11〜18 21 15〜8
降水量
(mm)
31〜14 17〜151 10〜35 89〜37
マドリッド 最高気温
(℃)
9〜15 18〜27 31〜23 19〜10
最低気温
(℃)
1〜5 7〜15 18〜14 10〜2
降水量
(mm)
40〜28 50〜26 10〜27 51〜55
コルドバ 最高気温
(℃)
14〜19 23〜32 36〜31 24〜14
最低気温
(℃)
5〜8 10〜17 20〜17 13〜5
降水量
(mm)
70〜6 180〜0 0〜60 36〜46
グラナダ 最高気温
(℃)
12〜18 20〜30 34〜29 22〜12
最低気温
(℃)
1〜5 7〜14 17〜14 9〜2
降水量
(mm)
34〜5 50〜3 0〜23 48〜61
セビリア 最高気温
(℃)
15〜20 23〜32 36〜32 26〜16
最低気温
(℃)
6〜9 11〜17 20〜18 14〜7
降水量
(mm)
70〜15 174〜0 0〜37 63〜7
トレド 最高気温
(℃)
10〜16 19〜29 33〜28 21〜10
最低気温
(℃)
2〜5 8〜16 19〜15 10〜2
降水量
(mm)
17〜5 66〜24 0〜8 151〜5

 

◆スペイン王国の歴史(王国建国までの略史)

スペイン王国建国までの詳細な歴史は、「スペインの歴史 半島の統一」をご参照ください。

スペイン王国 内     容
前史
(〜BC218)
イベリア人、イベリア半島に定住(BC3000年頃)
フェニキア人、半島南東海岸に植民市カディス建設(BC1100年頃)
ケルト人、ガリヤより半島への移住開始(BC900年頃)
カルタゴ、半島にカルタゴ・ノワ(新カルタゴ:カルタヘーナ)を建設(BC227)
第2次ポエニ戦争(ローマ、カルタゴ)(BC218:〜201)に勝利したローマ、イベリア半島の征服に着手
ローマ帝国
の支配
(〜476年)
セゴビアのローマ水道橋、建造(BC100前後)
ローマ、200年かけてイベリア半島全域を支配(BC19)
経済・文化のローマ化を促進(メリダの円形劇場建設(BC8)、ローマ劇場建設(BC24)、ローマ法施行、キリスト教の布教)
ゲルマン民族大移動。西ゴート族、ローマ帝国内に侵入(375年)
ローマ帝国、東西に分裂(395年)。その後、西ローマ帝国は衰退し、傭兵隊長の反乱で滅亡(476年)
ゲルマン諸族、イベリア半島に侵入。ヴァンダル族、アンダルシア領有、アラン族、ポルトガル、カルタヘーナを領有(409年)
西ゴート族、ローマを占領(410年)後、南仏に移動して西ゴート王国を建国(415年)。その後、先にイベリア半島に侵入したゲルマン諸族を追放して半島の大半を征服(470年)
西ゴート王国
の支配
(〜711年)
西ゴート王国、フランク族に敗れ、ガリアよりイベリア半島に撤退(507年)
西ゴート王国、トレドに遷都(560年)。スエビ王国(現ガリシア)を併合(585年)
589年:西ゴート王国、ローマ正教へ改宗宣言(半島住民支配に利用)。その後、7世紀に入り裁判法典公布(住民の法的障害の除去)
西ゴート王国、半島全域を支配(621年)
北アフリカのイスラム教徒(ウマイヤ朝)がイベリア半島に侵入、西ゴート王国滅亡(711年)。貴族ベラーヨ、半島北西部に逃れ、アストゥリアス王国を建国(718年)
イスラム王朝
の支配
(〜1031年)
イスラム勢力(北アフリカのウマイヤ朝)、イベリア半島の大部分を制圧(716年)。コルドバに遷都(717年)
アストゥリアス王国(キリスト教国)、コバドンガの戦いに勝利。半島北西辺境で独立を守る(722年)
北アフリカのウマイヤ朝滅亡後、逃亡王族がコルドバに後ウマイヤ朝成立(西カリフ帝国、756年)
コルドバでメスキータ着工(785年)。ガリシア地方でサンティアゴの墓を発見(821年)
半島北東部に、バスク人アリスタがパンプローナ王国建立(824年)。後にナバラ王国に(キリスト教国、970年)
バルセローナ伯、即位(874年、キリスト教国)。その治世でカタルーニャの諸伯領を統合。その後フランク王国より独立(987年)
アストゥリアス王国、レオンに遷都、レオン王国となる(914年)。やがて、カスティーリャ、レオン王国から独立の伯領に(961年)
アブデル・ラーマン3世、カリフを称す。イスラム教国の全盛期到来(929年)
衰退の中、内紛でコルドバの後ウマイヤ朝崩壊、20数個のイスラム諸国家に分裂(1031年)
強勢中のナバラ王国分裂、ナバラ王国、アラゴン王国、カスティーリャ王国が成立(1035年)
レコンキスタ、
スペイン王国
の誕生
(〜1492年)
イスラム勢力のムラービト朝(北アフリカ)がイスラム勢力支援で半島に侵入(1056年)
カスティーリャ・レオン王国、トレドを征服(1085年)するもムラービト軍に大敗(1086年)
エル・シドがバレンシアを征服(1094年)、アラゴン王、サラゴサを占領(1118年)。アラゴン・カタルーニャの連合王国成立(1137年)
ポルトガル、カスティーリャから独立を宣言(1139年)、独立(1143年)。
イスラム王朝のムワッヒド朝(北アフリカ)、イベリア半島に侵入(1146年)。ムラービト朝滅亡(1147)。ムワッヒド軍、カスティーリャ軍撃破(アラルコスの戦、1195年)
キリスト教連合軍、ムワヒッド軍撃破(ラス・ナパス・デ・トローサの戦、1212年)
グラナダにイスラム王朝のナスル朝興る(1232年)
カスティーリャ軍がコルドバに入城(1236年)。ポルトガル、ポルトガルのイスラム勢力一掃(1249年)。カスティーリャ、グラナダを除きイスラム教国を駆逐(1251年)
カタルーニャがシチリア島を獲得(1282年)。キリスト教諸国がジブラルタル制海権を獲得(1340年、サラードの戦)。カスティーリャ海軍、イングランド海軍破る(ラロシェルの戦、1372年)
カスティーリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンド結婚(1469年)。両王即位で、イスパニア王国成立(1479年)
グラナダ王国滅亡(1492年)、レコンキスタ終了
<その他>
サラマンカのカテドラル成る(1120年)。サラマンカ大学開校(1218年)。ブルゴスのカテドラル(大聖堂)、建設着工(1221年、16世紀に完成)。トレドのカテドラル(スペイン・カトリックの総本山)、建設開始(1226年、1493年完成)。グラナダのアルハンブラ宮殿建設開始(1238年)。グアダルーペ修道院建造着工(1340年)。セビーリャのカテドラル(スペイン最大規模)建設開始(1401年、1519年完成)
半島にペスト大流行(1343年)。農奴解放(1386年)。ユダヤ人虐殺、全土に拡大(1391年)。ポルトガルのアンゴラ植民地化開始(1490年)。ユダヤ人追放の勅令(1492年)。コロンブス、新大陸到達(1492年)

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<紺屋地獄 秘湯堪能 (秋田 後生掛温泉)>

 

◆出典

総務省統計局:世界の統計2009。外務省:各国・地域情勢。

スペイン政府観光局。気象庁:世界の天候。

 



感動の世界遺産 スペイン1 Blu-ray
ハイビジョン映像で紹介する「スペイン編」第1弾。「アントニ・ガウディの作品群」「コルドバ歴史地区」「セビージャの大聖堂、アルカサルと〜」「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の全4編を収録
黒死病 疫病の社会史 2020/6 ノーマン・F・カンター(著)
中世ヨーロッパの人口の約四割を死に至らしめた人類史上最大の疫病「黒死病」。それは社会構造の大変革をもたらし・・
天明の浅間山大噴火 日本のポンペイ 鎌原村発掘 2023/2 大石慎三郎(著)
地獄というものも、これほどひどくはないだろう。その日、山に、村に、何が起こったのか? 史料と発掘調査で甦る、埋もれた歴史の真実!
森林と物質循環 2018/3 柴田英昭(編集)
樹木、土壌、微生物、その他の動植物が森林の物質循環を形成。気象や地形、地質条件などによる特有の生物地球化学プロセスを理解し、今後の持続的森林管理や・・

 

ホームボタン記事一覧ボタン

 

Copyright (C) 2006-2024 悠久の館. All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system