D10 地球の歩き方 台湾 2023〜2024 2023/6 地球の歩き方編集室(編集)
台北、高雄、台中、台南などの人気都市から魅力あふれる地方の町まで、2ヵ月かけて現地取材
NHK趣味悠々 デジタル一眼レフで巡る ローカル線の旅 セット(2枚組) DVD 2010/5
各地の情緒溢れるローカル線を旅しながら、近年身近になってきたデジタル一眼レフでの鉄道写真撮影テクニックを紹介する作品。基礎知識を学ぶ第1巻と、更なるステップアップを目指す第2巻をセットにした2枚組。
B13 地球の歩き方 アメリカの国立公園 2024〜2025 地球の歩き方編集室(編集)
グランドキャニオン、ヨセミテ、イエローストーン、アーチーズ、ロッキーマウンテンなど60を超える国立公園・国定公園等を掲載。
テーマで巡る 人気の海外旅行特集
絶景の世界遺産 祭り・イベント ハネムーン リゾートウェディング クルーズ 芸術・文化・大自然 自分にピッタリな旅行プランは・・

台湾観光旅行
奇怪な建物と自然の景観

訪問地と写真   台湾の概要   台湾の歴史 

 

初夏の東京から、夏盛りの「台湾(歴史参照)」に行って来ました。バスと電車で台湾一周の汗だく高速ツアーでしたが、ガイドさんの軽快な案内とおしゃべり、そして適宜の居眠りで無事帰国の途に。「台日温泉談義、玉川温泉ご推薦」、「大陸中国(歴史参照)と日本の旅行者比較論」、「台湾・中国・日本 歴史談義」、「台日相互の震災支援談義」等々印象に残るものも。

食事で困った「トルコ、カンボジア、バリ島」とは異なり、違和感の無い食事を楽しみ、再訪は遠慮するとしても、はじめての「台湾」を満喫して来ました。額に汗を浮かべながら撮った写真です。暇があったらのぞいて見て下さい。

 

・期間: 2013/07/08から5日間

・行程:台中(宝覚寺→彰化大仏→日月潭 文武廟)→台南(赤嵌桜)
     →高雄(蓮池潭 龍虎塔 美麗島駅 寿山公園)→
     台東(三仙台 水往上流)→花蓮(太魯閣渓谷観光)→
     九ふん散策→台北(故宮博物館 行天宮)

・地図: 台湾全体図 をご参照

・備考:巨大布袋様、巨大大仏、色彩鮮やかな建造物に仰天。海洋・渓谷・湖沼の自然美に感歎。

 

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◆訪問地と写真

1 布袋様
(台中)
2 とある海
(台東)
3 龍虎塔
(高雄)
4 眼下に
(高雄港)
5 漂う郷愁
(九ふん)
6 海、遠望
(台東)

 

名 称 概      要
宝覚寺

(台中)
  日本統治時代に建立(1927年)された臨済宗のお寺で、老朽化の為大雄寶殿(石造りの本堂部分)が増築され、境内には、二体の白い象(お釈迦様の化身)、日本式の灯篭、金色の布袋様(弥勒仏の化身)、日本人の共同墓地(およそ1.4万人)がある。

  写真:塀越しに   お寺と墓地   大雄寶殿内に

    布袋様1   布袋様2
彰化大仏

(台中)
  八卦山風景区(彰化県彰化市)でひときわ目立つ巨大大仏(21.6m)で、周囲には、2頭の獅子の石像、水族館、大仏殿、二つの8階建ての塔があり、この塔からは彰化(しょうか)市内を一望できる。

  写真:送迎の輪   大仏殿   大仏1   大仏2

   眼下の眺め
日月潭
(にちげつたん)

文武廟

(台中)
  約二千年前に発見された天然湖(周囲約25km、水深約30m)で、台湾本島のほぼ中央部に位置(台中市の東南約40km)し、「国立風景区」に指定、台湾八景(日月潭から見る夕日は特に絶景)にも選出された。湖畔には、北部の「文武廟(1938年建立、1975年再建)」と南部高台の「玄奘寺(1965年に創建 西遊記の玄奘大師を祀る)」という著名な観光スポットがある。文武廟は、前殿(孔子を祀る)、中殿(岳飛や関羽を祀る)、後殿の三殿様式の中国宮殿式の廟で、獅子の石像と龍の彫刻、廟からの日月潭全景圧巻

  写真:いざ前殿へ   中殿の偉容   関羽と張飛

   堂々の後殿   絶景   威圧
赤嵌桜
(せきかんろう)

(台南)
  郭懷一事件(1652年)後に、オランダ人によって築城(1652年 プロヴィンシア城)された旧跡で、台湾文化部により国定古跡に指定された。オランダ統治、明鄭時代、清時代、そして日本統治時代と支配者変遷の中、レンガの城門と基盤が当時の様子を伝えるが、修復・改築が繰り返されて現在の姿となった。

  写真:一転にわかに   雷雨の中   昔日の面影は
蓮池潭
(れんちたん)

龍虎塔

(高雄)
  高雄市のはずれ左営区にある湖(全長約1.4Km)で、周囲には観光スポットとして有名な中華風の塔や寺廟(孔子廟・龍虎塔・慈済宮(医者の神様を祀る 龍虎塔の目前)・春秋閣など)が立ち並んでいる。南に位置する龍虎塔は、龍の口から入り、虎の口から出ると開運効果があるとされる。

  写真:龍虎塔1   龍虎塔2   龍虎塔3

   慈済宮   蓮池潭
美麗島駅

(高雄)
  高雄にあるこの駅(2008年完成)は、東西(橘線)南北(紅線)を走る地下鉄(MRT)の交差する乗り換え駅であるが、イタリアの著名な芸術家の製作となる世界最大のステンドグラスアート「光のドーム(直径30m、面積660m2)」を持ち、「世界で最も美しい駅」の第2位に選出された。4500枚のステンドグラスが輝く幻想的な光景は秀麗。
寿山(じゅさん)公園

(高雄)
  高雄市西部の万寿山中腹にある公園で、高雄港全景一望する夜景の美しさで有名であるが、中国宮殿建築様式の忠烈祠(日本統治時代の高雄神社跡地)、寿山動物園、石灰岩の洞窟など見どころが点在する。野生の台湾ザルも生息する緑豊かな場所で、休日にはハイキングを楽しむ家族連れでにぎわう。

  写真:高雄港1   高雄港2   高雄港3

   眼下の市街   忠烈祠
三仙台

(台東)
  東海岸で有名な観光スポットで、広大な海の景観に、巨大な3つの岩石(3仙人の来訪が三仙台の由来)と陸からの通路となるアーチ橋(1987年完成)から構成され、海蝕景観や奇景が満喫できる。海上を走る巨大な龍に似たアーチ橋を渡ると、2時間ほどで島一周が可能。

  写真:三仙台1   三仙台2
水往上流

(台東)
  この場所は、都蘭漁橋付近の曲りくねった山道の路傍にあり、「奇観」が刻まれた石塊が目印で、その横の小さな水路の水は、地球の引力に逆らい高きへ流れる逆流現象を現出させます。景色の傾斜角度が路面より大きいという事情が目の錯覚を誘引して起こす奇観のようですが、初めて目にした人は、驚き不思議に思うでしょう。
太魯閣(タロコ)渓谷

(花蓮)
  台湾八景のひとつで、台湾中部、花蓮県の山岳部(太魯閣国立公園)にある著名な渓谷(南北約38Km、東西約41Km)で、立霧渓の澄んだ流れが大理石を侵食して形成され、高山、断崖、滝など豊かな景観を残した。入口にある門には「東西横貫公路」の記載があり、花蓮と台中を結ぶ、標高3000m超の中央山脈を越える壮大な路が通る。

  写真:遠望   いざ出陣   絶壁と静寂の流れ

   とある廟
九ふん 山あいの静かな町(台北から車で1時間ほど)が、映画「千と千尋の神隠し(2001年公開)」で話題になり、残存する古い建物(日本統治時代に建築)や懐かしい雰囲気の漂う町並みが、日本人の心を捉え、台湾で行きたい観光地のナンバーワンとなった。この地は、清朝時代にゴールドラッシュで栄華を極めたが、閉山(1971年)とともに元の地方の村へと戻り、細い路地の階段に沿って建つ古い館や、提灯が灯るノスタルジックな風景を残した。

  写真:ある街並み   哀愁漂う建屋   石段降りて
故宮博物館

(台北)
  中国美術工芸コレクションで世界一の名声を博し、世界四大博物館(フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並び)の1つにも数えられる博物館(1965年完成)で、収蔵品およそ70万点、6000〜8000点を常時展示する。展示物は器物、書画、図書文献に大別され配置(1〜3階に)されているが、時間のない人は3階に集まる必見秘宝の観賞を推奨する。収蔵品は、大陸中国の戦乱(満州事変、日中戦争)で各地を移動したが、最終、国共内戦後の国民党の台湾移転と同時に、北京の故宮(紫禁城)から台北に運ばれた(1948年から3回)。

  写真:故宮博物館1   故宮博物館2   故宮博物館3
行天宮

(台北)
  三国志で有名な関羽を商業の神として奉じる寺院(オフィス街松江路エリアにある)で、台北一のにぎわいを誇り、週末にはお祈り待ちの行列を作るほどの人気があるお寺(1967年落成)です。

  写真:行天宮

 



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長い歴史を誇る中国の世界遺産を紹介。独創的な都市や芸術的な仏寺、道観、石窟などユネスコの世界遺産委員会が認めた記念物や遺跡、自然景観を収録
古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895-1945 2015/4 片倉佳史(著)
日清戦争の勝利によって清国から割譲され、近代日本初の植民地となった台湾は、大東亜戦争終結までの半世紀、惜しみない日本の投資によって瞠目の発展を遂げてきたが・・
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深刻な土地不足、噴出す地下水、台風の脅威、システム・ダウンなど、かずかずの困難の末完成した香港国際空港の巨大プロジェクトの全貌に迫る。
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◆台湾の概要

16世紀半ばに入り、近隣航海中のポルトガル人に発見された台湾は、温暖で緑にあふれた島で、その美しさより美麗島と呼ばれた。中国(歴史参照)に近接し、東シナ海南方にある台湾本島は、日本の九州相当の面積であるが、標高3000m級の山脈が南北に走り、相当部分が山岳地帯となり、その変化に富んだ地形によって、各地に風光明媚な景勝地が誕生した。

気候は1年を通して温暖であるが、本島中央を横切る北回帰線を境に、北側が亜熱帯気候、南側が熱帯気候に分類される。また、明瞭な四季は無いが、長い夏と短い冬(12月〜2月)があり、夏には台風が来襲する。尚、人口、宗教含め詳細は「台湾の歴史」をご参照下さい。

 

○台湾の気になる情報

気温と降水量(図1-1
旅行適期は? 最高気温30℃越え、北部4ヶ月、南部6ヶ月。降雨集中、南部3ヶ月に。
物価比較(図1-2
およそ半額相当・・?
台日訪問者数(図1-3
相互交流、日本人旅行者年間200万人弱、台湾人旅行者500万人弱、年20万人増
月別台湾への入国数(図1-4
訪台日本旅行者は何月に多いのか?
月別日本への入国数(図1-5
訪日台湾旅行者は何月に多いのか?
在留邦人数上位国(図1-6
日本の海外在留者、どの国が多いのか? 台湾は何番目か?
海外旅行者の国内訪問先(図2-1
人気の都道府県は? 台湾旅行者はどこへ行くのか
訪日客の滞在状況(図2-2
旅行者の消費額は? 滞在日数は? 台湾人旅行者は?
   (ご参考:日本人が選ぶ海外旅行先   世界遺産と海外旅行の関係は

 

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○台湾の観光に際して

< 基本情報 >
○時差・飛行時間
  ★飛行時間
台湾桃園国際空港(成田から約4時間)、台北松山空港(羽田から約4時間)、高雄国際空港(成田から約4.5時間)、台南空港(大阪から約4時間)、台中国際空港(大分から約2.5時間)
★時差
日本との時差は-1時間(日本12時=台湾11時
○通貨と両替
  ★台湾の通貨
新台幣(NTドル、ニュータイワンドル)、単位は元(ユェン)。1元=約3.7円(2017/03現在)。紙幣は、5種(100、200、500、1000、2000元)、コインも5種(1、5、10、20、50元)
★両替
台湾桃園国際空港や台北松山空港の銀行は24時間対応の窓口やATMあり。日本国内の銀行や両替店、空港でも可能。台湾入国後は、銀行やホテル、デパートなどで可能
○出入国
  ★観光目的の90日以内の滞在ならビザ不要(日本国民の場合)。帰国のための予約済み航空(乗船)券、あるいは次ぎの目的地への航空(乗船)券の提示が必要
○その他
  ★治安はおおむね良好だが、人の多い所(公共交通機関、夜市等)ではスリに注意。夏から秋に台風が多く、崖崩れや水害の発生も。
★現地の物価は「物価比較」をご参照
★チップの習慣は無いが、無理を頼んだ場合は気持ちで(目安50〜100元)。高級レストラン、ホテル等では、サービス料(10%)が加算される為不要
★電圧110ボルト・周波数60ヘルツ。プラグの形状は日本と同じAタイプ、日本の電化製品はほぼ使用可能だが、パソコンなど精密機械は変圧器を使う方が無難
★水道水はそのまま飲まない。ミネラルウォータを購入

 

      

 



D11 地球の歩き方 台北 2024〜2025 2023/10 地球の歩き方編集室(編集)
進化が止まらない台北と、九分など近郊の町を1ヵ月以上かけて徹底取材。
中国 1 中国の自然と大地 DVD 2004/3
中国の雄大な山々と大河、大自然や伝統文化を巡りながら、近代化の進む都市と近郊、活気に満ちた中国の姿を追うカルチャードキュメンタリー。中国五千年の悠久とも思われる深い歴史の流れが感じられる雄大な風景や伝統文化の数々に触れることができる。
南の島の大統領 沈みゆくモルディブ DVD 2014/9
モルディブのモハメド・ナシード元大統領のある一年間を描いた物語。当時彼は、モルディブと国民が“生き残る”ことができるのか、という問題に直面していた…。国を、地球を守るために闘う男の痛快ドキュメンタリー。
旅行用品 おすすめ情報
スーツケース、キャリーバッグ、旅行かばん、ポーチ、小分けバッグといった人気ジャンル商品を充実の品ぞろえ。

 

◆台湾の歴史(略史)

東南アジア方面から渡来した台湾原住民は、移り変わる支配者の統治政策の中、移住する漢民族との同化が進み、台湾住民の約98%を漢民族が占め、その内の約85%を構成する本省人(日本統治以前から台湾に居住)が多数となった。大陸中国の主張する1国2制度の中、覇権を競う米国・中国の狭間で揺れ動き、奮闘・苦悶する台湾の歴史を回帰する。

 

<1642年〜1662年 オランダの統治>
★東南アジア方面から渡来した民族が、台湾各地に居住。台湾原住民として、狩猟・漁労・焼畑農業で生活(オランダ統治以前)
  ☆英/蘭、東インド会社設立(1600/02)
★大航海時代、スペイン(歴史参照)とオランダ(歴史参照)が台湾に進出(通商と植民地化)
  ☆メイフラワー号(英国移民乗船)、米国のプリマス上陸(1620)
★オランダ、台湾南部に上陸(1624年ゼーランディア城、1625年プロビデンシャ城構築)
★スペイン(旅行体験)、台湾北部に進出(1626年サン・サルバドル城、1629年サント・
  ドミンゴ城構築)
オランダ、台湾北部占領(1642年)、スペインを駆逐、原住民を懐柔、台湾を支配
★オランダ、中国福建省より漢人移民招聘、開拓促進
  ☆大陸中国、農民反乱で明朝滅亡。新興清朝と残存勢力南明が対峙(1644)
★南明支援の鄭成功、劣勢で大陸撤退。台湾を新根拠地に(1661)。オランダを駆逐
<1662年〜1683年 鄭一族の統治>
★17世紀初頭、中国大陸南部(福建省や広東省)より台湾南部への移住者急増(明朝→
  清朝の政権交代、人口増加圧力)。耕地争奪で原住民巻き込み武闘頻発
★オランダ追放後、鄭成功、「東都」と称し漢人政権樹立、反清復明の基地に。後継者の
  鄭経、「東寧」と改称(1662)
  ☆仏、東インド会社再興(1664)
★清国、台湾攻略を放棄(1665)。以後海洋貿易国家として繁栄
☆大陸清国で抗清戦争「三藩の乱」勃発。鄭経、参戦(1673)
  ☆露・トルコ(旅行体験)交戦(1677〜81)
★清、反乱軍を平定。鄭経、台湾に撤退(1680)
  ☆オスマン帝国、第2次ウィーン包囲失敗(1683)
★清国の攻撃で、鄭家降伏(1683)。清国、中国全土を支配
<1683年〜1895年 清朝の統治>
★台湾を敵対勢力の根拠地とさせないために、福建省に編入(一府三県。1684)、文官統治を開始。以後、渡航許可(制限)制とし、厳しく管理
  ☆スペイン王位継承戦争(1701)
★規律が緩み、移住と開拓が進む中、理蕃政策(先住民の生活圏保護)と同化政策(先住民女性との通婚、漢民族化)を推進(1729)。山間奥地の開拓進行で、理蕃庁を創設(1766)、漢人移住者の土着化(台湾化、子孫が後の本省人)が進んだ。
  ☆ハワイ王国旅行体験   歴史参照)、憲法公布(1840)
アヘン戦争(1840〜42)、米軍艦砲撃(台湾南部先住民族)事件(1867)。牡丹社事件(台湾先住民が琉球漂流民殺害)(1871)で日本軍台湾出兵(1874)、清仏戦争で仏艦隊砲撃(1884)等西洋列強の干渉が強まり、再起策としての洋務運動(富国強兵運動)と共に台湾防備が急務に。
  ☆日露、樺太千島交換条約(1875)
★台湾の洋務運動は、防衛力強化、インフラ整備、産業育成等を主力政策とし、台湾省(1885年設立)の初代巡撫「劉銘伝(1886年任命)」が実施。改革は順調に進むも、劉銘伝の離任(1891)で以降頓挫。首都、台南から台北に移転(1891)。
  ☆米国、西部開拓終了(1890)
漢族系住民は30万人(1683年)から約9倍の255万人(1893年)に増加、耕地面積は1万8千町歩から約42倍の75万町歩に激増
  ☆日清戦争勃発(1894/7〜1895/3)
★日清講和条約(下関条約)調印で、清朝は台湾と澎湖諸島、遼東半島(後に三国干渉で清朝に返還)を日本に割譲。ここに、清国による200年を越す台湾支配が終焉。

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<共同湯背に ある春 (群馬 四万温泉)>

 

<1895年〜1945年 日本の統治>
★台湾民主国、独立を宣言(1895/05)。日本軍、台北無血入城で台湾民主国崩壊。抗日ゲリラ、各地で抵抗(06)。日本軍、台湾全島平定(11)。台湾総督府、民政へ移行(1896/04)
★輸送力強化を急務とし、日本軍の縦貫軍用道路(約440Km)建設(1895年から10ヵ月)に始まり、公道整備に着手
★抗日武装ゲリラ活動で台湾売却論(1896)も出る中、匪徒刑罰令(抗日ゲリラに極刑)を公布(1896/11)、また「招降政策(寛大な処置)」も実施し、土匪勢力を根絶(1902年)。全島より私有武器を押収、治安を改善
  ☆米西戦争。米国、ハワイ併合(1898)
★警察の管理・指揮下の地域管理で、「保甲条例」を公布(1898/08)、日本語の普及、迷信の排除、纏足の開放など、住民の習俗近代化と緩やかな同化政策を展開
★土地調査事業(1898/09〜1905/03)、人口調査事業(1905年)、文化・風俗等の旧慣調査事業(1901年から20年)を実施。人口約304万人(山地原住民除く)、耕地面積約2倍、地租約3倍強と財政基盤を整備
  ☆米国、清に門戸開放を迫る(1899年)
★商業銀行を兼務する台湾銀行を設立(1899)、台湾銀行券発行(1904)で流通貨幣を統一、貨幣制度を整備した。日本の新渡戸農学博士を招聘し、世界的な糖業生産地とするなど台湾の主要産業の近代化を推進し、経済基盤を整備
★島内西部縦貫鉄道敷設(基隆→高雄)(1899〜1908)を始めとし、鉄道網整備に着手
★清朝時代の旧港も近代化が急務となり、基隆港(1899〜)や高雄港(1904〜)も近代化工事で、アジア有数の大規模港湾に再建
  ☆中国、義和団の乱(1900)。北京議定書(列強11ヶ国と講和)(1901)
★衛生環境改善から近代的都市建設が始められ、台北(1900〜)をモデルに、都市計画(道路、上下水道、区画)を全島へ展開(1910〜) 、市民生活の基盤が改善され、生活の近代化が進展
★宣蘭河堤防(約3.7Km)工事。第一期(1900〜)。第二期完(1926)
  ☆日露戦争(1904年)
★道路網を拡充整備、公道の総距離は約1.1万Km(1905年)、約1.8万Km(1938年)へ
★山間林野の先住民族地域を含む広範な領域に開発が及ぶと、沈静化した武装蜂起が散発。林野調査(無地主土地の国有化)や討蕃事業(各々1910〜14年)の推進が抗日蜂起に連動、大陸の辛亥革命の影響も含め、北埔事件(1907年)、林杞埔事件(1912年)、羅福星事件(1913年)、西来庵事件(1915年)、霧社蜂起事件(1930年)を誘発
  ☆日本、韓国併合(1910)
  ☆辛亥革命(1911)。中華民国成立(1912)
★大正デモクラシーの影響下、協調・自主自立を求める社会運動が始動。差別撤回の台湾同化会(1913〜15年)、地位・文化向上の台湾文化協会(1921年)と続き、この協会は台湾議会設置請願運動(1920年)の拠点に
  ☆第一次世界大戦勃発(1914年〜1918年)
★鉄道網の拡充整備が進展、東部では花蓮の台東線(1915)、基隆の宣蘭線(1924)、西部の屏東線(1941年)が完成。淡水線、集集線、平渓線なども開通、島内の人的交流や物流に貢献
  ☆ロシア革命(1917)
★第1次世界大戦後の民族自決運動の高揚の中、初の文官出身の田総督(1919年)は、日本語の教育は積極的に推進したが、風俗習慣、信仰に対する全面的な日本化は求めず、内地延長主義(共学、婚姻の認可)のもと、緩やかな同化政策を展開。
★帝国議会に第一回「台湾議会設置請願書」提出(1921/01)。台湾議会設置請願運動開始(02)。地方協議会議員の半数の民選実現で、毎年実施してきた請願運動を中止(1934/09)
★不毛の地を一大穀倉地帯に変えた鳥山頭ダム(世界でも最大規模)建設(1921〜1930)
  ☆ソ連邦成立(1922)。トルコ共和国樹立歴史参照)(1923)。関東大震災発生(1923)
★左傾化・民族運動と路線対立が激化する中、台湾文化協会の穏健派は、台湾民衆党(1927〜1931)、台湾地方自治連盟(1930年)の設立を経て、地方協議会議員の半数の民選を実現(1934年)。北支事変勃発(1937年)後、自主解散し台湾の社会・政治運動が終焉。
★台北帝国大学開校(1928)
★政府の思想弾圧下、左傾化した台湾文化協会の一派は、台湾共産党(1928年発足)に吸収され、台湾民衆党も分裂し左傾化したが、満州事変(1931年)による戦時体制の中、両党ともに強制解散(1931年)に
  ☆米国株価暴落、世界大恐慌(1929)。満州事変(1931)。満州国、建国宣言(1932)
★近代的港湾整備を拡大、花蓮港(1931年〜1939年)の開港、戦争のため中断されたが、台中港の着工(1931年)。
戦時体制強化の為、総督府(1936年)は従来の同化政策を転換、皇民化運動として急進化。母語使用制限、新聞の漢文蘭廃止、伝統的演芸の禁止、宗教行事の制限と禁止を公布(1937年)。神社参拝、日本語の使用、日本名の使用を強制(1940年)
  ☆盧溝橋事件発生、日中全面戦争へ(1937)
  ☆第ニ次世界大戦勃発(1939年〜1945年)
☆日本、英米に宣戦布告(真珠湾攻撃)(1941年)
★太平洋戦争開戦後、官軍民一体の戦時体制が構築され、「内台一家」の皇民奉公会が発足(1941年)。また、志願兵制度の試行(1942年)や徴兵制の実施(1944年)で、多大な犠牲
日本の降伏(1945/08)後、台湾及び澎湖諸島を、蒋介石の中華民国に返還(1945/10/25)。この日が「光復節」とされ、半世紀に渡る日本の統治は終了。台湾軍人・軍属の帰還と日本企業・行政機関の接収(1945/11)が始まり、49万人の日本人の帰国を完了(1946/04)
☆中国、国共の内戦開始(1945)

 

      

 

<1945年〜 中華民国の統治>
★国民党軍、台湾上陸。日本の第19代台湾総督、行政権を台湾省陳儀行政長官に返還(1945/10)、中華民国の統治開始。台湾住民歓迎。台湾省、日本企業と行政機関接収開始(11)
★ヤミたばこ摘発を契機に「2.28事件」発生(1947/02)。反乱は蒋介石軍が鎮圧、多数のエリート層が犠牲に。本省人と外省人(戦後大陸からの移住中国人)の対立が始動
  ☆ソ連、ベルリン封鎖(1948)。北大西洋条約機構NATO成立(1949)
★大陸での国共内戦(毛沢東の共産党と蒋介石の国民党)に敗北した国民党政府は、200万人にも及ぶ人々と台湾に遷都(1949/12)。正統な中国政府を掲げ、大陸反攻を目標とした。事前に台湾全土に発令した戒厳令(1949/05)のもと支配を継続
★大陸に中華人民共和国が成立(1949/10)、台湾「開放」も視野に。ソ連傾斜鮮明化(中ソ友好同盟相互援助条約:1950/02)の中国封じ込め策勘案中、突然の朝鮮戦争勃発(1950/06〜54)で、東アジアの共産化を恐れた米国が、台湾海峡の「中立化」を宣言、台湾防衛のため艦隊を派遣
  ☆米・フィリピン、相互防衛条約調印。対日講和条約、日米安保条約調印(1951)
台湾米国に傾斜。相互防衛条約締結(1955/12)、金門島砲撃事件(1958/11)での中台間緊張拡大等、米国の巨額(年平均約1億USドル)な軍事・経済支援を享受(1951〜1965)。輸出志向の工業化と経済の近代化を図った台湾は、工業生産が農業生産を凌駕(1964)
  ☆キューバ革命(1959年)。キューバ危機(1962年)。ベトナム戦争勃発(1965年)
中国歴史参照)、米ソと対立の中、軍事力強化で孤高の外交を展開するも政策転換を模索。中国、北ベトナム経済支援(1965/07)。初の原爆実験(1965/10)。文化大革命発動(1966/08)。ソ連の中国共産党批判(1966/08)。初の水爆実験(1968/06)。中ソ国境紛争(1969/03、08)
中国の国連代表権が、大陸の中国共産党政府(台湾は中国に帰属)に変更(1971/10)、台湾国連を脱退
★中国の孤立外交の転向と米国のアジアへの過剰介入政策の転換。米中共同声明(台湾の中国帰属を確認)(1972/02)。日中国交正常化調印(日本・台湾、外交断絶)(1972/09)
  ☆第一次石油危機。第4次中東戦争勃発(1973年)
★蒋介石総統死去(1975/04)後、息子の蒋経国が政権を継承(1978/03〜1988/01)
★日中平和友好条約調印(1978/08)。米国・中国、国交正常化(米国・台湾、断交)(1979/01)
★ICBM発射実験(南太平洋海域で)、成功(1980/05)。中国、台湾に第3次国共合作を提唱(1981/09)。建国35周年の軍事パレード(ミサイルのデモ・台湾に示威)(1985/10)
★李登輝総統(本省人)、政治の民主化推進。野党の民主進歩党の結党黙認(1986/09)。戒厳令(金門、馬租地域除く)を解除(1987/07)、大陸への里帰り許可(1987/11)、新聞自由化(1988/01)、野党の結成を公認(1989/01)
  ☆ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)(1987年)
★天安門広場に100万人集結、北京に戒厳令(1990/05)。天安門の悲劇(政府、暴乱と規定・武力制圧、死者多数)(06)
★憲法改正(1991/04)。万年議員退職へ。形式上継続していた中台の内戦状態を一方的に終結(1991/04)、金門・馬租地域の戒厳令を解除。台湾の軍事政策は、大陸反攻→攻守一体→専守防衛に転換
★立法委員選挙(1992/12)で2大政党時代に突入。内閣改造(1993/02)で連戦行政院長(首相)誕生、本省人による2トップ(総統、行政委員長)体制実現
★ソ連邦崩壊後のロシアとの関係修復(軍事協力協定、中ロ共同宣言:1994/09)
  ☆阪神・淡路大震災(日本)(1995年)
★台湾初の総統民選(住民の直接選挙)の実施(1996/03)。李登輝総統、圧倒的多数で、民選初の総統に。中国、対岸の福建省で大規模軍事演習実施(李総統誕生阻止で)。ミサイル発射で軍事威嚇実施。米国、空母派遣で中国をけん制。李登輝総統、両国の関係安定化で「二国論(中台は特殊な国と国との関係)」提唱(1999/07)
香港復帰、1国2制度スタート(1997/07)。台湾、大地震発生(1999/09)。マカオ返還、特別行政区に(1999/12)。中国・台湾、WTO加盟決定(2001/11)
★第2回目の総統民選で、民進党の陳水扁総統誕生(2000/03)。戦後55年間台湾を統治した国民党初の下野。民進党は、少数与党の立法院(国会)で政権運営に苦慮。平和統一問題のすれ違いより、台湾の軍事政策は、専守防衛→防衛固守・有効抑止→境外決戦に転換
  ☆米国、同時多発テロ発生(2001年)。第2次湾岸戦争(イラク戦争)(2003/03)
★台湾の独立志向に牽制強める中国、軍事面・経済面で圧力も(2004/06)。台湾侵攻の能力誇示か 中国3軍が合同演習(2007/09)。中台の緊張拡大
★国際的孤立の中、経済活動に専念した台湾は、奇跡的な経済発展を実現。工業生産、特にパソコン関係の生産は世界トップクラス(2003年末)に、国民1人当りのGDPは1万9000USドル超(2010)に、外貨準備高は世界第4位(2014)に
★第3回総統民選(2004/03)で、民進党の陳水扁総統辛勝。立法委員選挙(2004/12)で敗北。身内のスキャンダル発覚で、統一地方選(2005)で与党敗北、立法委員選挙(2008/01)で与党惨敗、総統民選(2008/03)で国民党の馬英九が大差で当選、第2次政権交代
  ☆東日本大震災(2011/03)
★第4回総統民選と立法委員選挙はダブル選挙(2012)となり、国民党が圧勝(馬総統再選、与党過半数の議席獲得)。親中派の馬総統政権は、経済的「中台統一」を志向。中国共産党と「両岸経済協力枠組協議」の締結(2010)、「両岸サービス貿易協定」の締結(2013)と歩を進めたが、立法院で「両岸サービス貿易協定」批准審議中に、経済の中国隷属を危惧した「ひまわり学生運動」事件(立法院占拠)が発生(2014/03)、学生支援の大規模デモも起き、立法院は再審議を約束、学生は撤去(2014/04)した。この運動は、香港の「雨傘革命(2014/09〜12)」の先駆けに
★第5回総統民選(2016)、雪辱で蔡英文総統が誕生。馬前総統の「中国一辺倒」政策をやめ、「新南向」政策を提唱。安全保障政策では、米国と日本との関係強化を目指すとした

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<可憐なひと流れ (群馬 麻耶の滝の手前に)>

 

◆出典・その他

○語句説明

玉川温泉(秋田県仙北市田沢湖玉川字渋黒沢)
八幡平(秋田・岩手県境の火山性高原)の秋田県側にあり、本格的湯治場として高名です。硫黄臭の強酸性(pH1.2)の温泉で、微量のラジウム放射線を含有し、多くの疾患・症状に対する治癒能力も期待される。また、高い地熱の温泉地獄地帯や、この温泉と台湾の北投温泉にだけ存在する北投石(ほくとうせき)の存在でも有名で、ゴザを引いた岩盤浴も見られる。
台湾八景
@台北101(台北市信義区にある地上101階、地下5階の超高層ビル(509.2m 2004年竣工))。A台北故宮。B日月潭。C阿里山(嘉義県にある15の山々から成る国家風景区。日の出・夕霞・雲海・鉄道・神木の「五大奇観」で有名)。D玉山(旧称新高山 台湾のほぼ中央部に位置 3,952m)。E高雄愛河(高雄市の中心部を流れる運河 市民の憩いの場)。F墾丁(こんてい)(屏東県恒春半島に位置(台湾最南端)する台湾初の国家公園)。G太魯閣。  <中華民国交通部観光局選出(2005年)>
台湾、大地震(1999/09)
午前1時47分ごろ(21日現地時間)、台湾中部南投県集集(チチ)付近を震源としたM7.7の地震。死者・行方不明者4800人超、倒壊建物約3万棟と、台湾での20世紀最大の地震(放出エネルギーは阪神・淡路大震災の2倍)となった。国連の要請を受け、日本政府は過去最大規模の国際緊急援助隊(隊員数145人、援助国で最大規模 寄贈仮設住宅約1000)を派遣した。
1国2制度
中華人民共和国が、返還される領土等を統治するために打出した統一方針(1978年末)で、自国を中央政府(社会主義制度で運営)とし、香港、マカオや台湾を、高度な自治権を有する特別行政区(資本主義制度で運営)として管理する国家運営を指す。
香港復帰、1国2制度スタート(1997/07)
英国の植民地だった香港が中国に返還(1997/07)され、1国2制度初めて導入された。香港は、返還後の50年間は資本主義制度の中、外交と防衛を除く「高度な自治」など特別な地位が保証された。基本法(憲法)には、言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由などが明記されているが、返還後、中国政府は香港の選挙や言論の自由に干渉し、2013年以降、抗議する市民デモが頻発している。
マカオ返還、特別行政区に(1999/12)
ポルトガルの植民地だったマカオ(面積約30平方キロ、人口は約63万人)は、中国に返還(1999/12)後、香港と同様に「1国2制度」が適用され、特別行政区となった。50年間は資本主義体制と独自の社会・経済制度が許されている。マカオ政府がカジノの対外開放を決定(2001年)するや、外資の営業開始とともにカジノ総収入は、米ラスベガスを抜いて世界第1位(2006年)となった。
「ひまわり学生運動」事件(立法院占拠)が発生(2014/03)
馬英九政権の中国傾斜が強まる中、中国と台湾の間で調印(2013/06)された「海峡両岸サービス貿易協定(貿易自由化)」の、立法院による承認を阻止する目的で行われた学生運動を指す。立法院(国会)の本会議送付強行をきっかけに、抗議する学生が立法院本会議場に突入(2014/03)、議場占拠を続け、「両岸(中台)協議監督法令制定前にサービス貿易協定審議についての政党間協議を招集しない」との王金平立法院長(国会議長)の調停を引き出して議場を退去(04/10)、運動は収束した。
香港の「雨傘革命(2014/09〜12)」
北京の全人代(中国国会)で、香港行政長官(大統領に相当)の自由な立候補を阻む、選挙制度変更(2014/08)が決定されたことから、香港の学生らによる、選挙制度民主化要求運動(2014/09〜12)が発生した。催涙スプレー攻撃を、民主派のデモ隊が雨傘を開いて防御したことから、「雨傘革命」と呼ばれる。若者層を中心に最大30万人もの人々が街に繰り出し、市内の各地を占拠したが、数週間程度で膠着状態に入り、やがてなし崩し的に崩壊し収束した。
2.28事件
台湾人老女(闇たばこ販売)への取締官の暴行に端を発した抗議デモ(1947/02/28 台北市)が、国民党(第2次世界大戦後、日本に代わり台湾を統治)への民衆の不満と共に台湾各地に波及したが、中国大陸から派遣された軍隊に鎮圧された民衆弾圧事件である。一党独裁と戒厳令の中で、真相は隠蔽されたが、90年代以降の民主化や政権移行で調査も進められ、追悼や賠償も実施された。犠牲者は台湾当局の推計では1万8千〜2万8千人とも。
天安門事件(1989/04)
胡耀邦元総書記(中国共産党の改革派指導者)の追悼のため天安門広場(北京)に集結した学生らが民主化を要求、共産党指導部はこの学生運動を「動乱」として戒厳令を布告、軍隊を投入して武力制圧(1989/04)した事件(当局発表死者319人、真相はなお不明)である。趙紫陽総書記(学生に理解)は失脚(自宅軟禁、2005年死去)、政治改革は挫折するも、市場化改革と対外開放が奏功して、非民主体制による経済大国化へとつながった。

 

○出典

☆国土交通省観光庁:訪日外国人消費動向調査、宿泊旅行統計調査

☆外務省:海外在留邦人数調査統計

☆台湾交通部観光局(訪台統計人数)、台湾交通部中央気象局

 



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