朝 鮮 戦 争
(悲運の38度線)
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◆軍事行動の軌跡

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◆朝鮮戦争の年表(1)

>1945年
@国際連合(50カ国)成立、Aドイツ、東西に分裂(06)
@ソ連対日宣戦布告。Aソ連軍、朝鮮北部に侵入。平壌占領。B38度線越境禁止(08)
@ソ連軍、満州侵入。A日本ポツダム宣言受諾。B中ソ友好同盟条約締結。C中国、国連の常任理事国に(08)
@朝鮮建国準備委員会(半島南部民族左派団体)、朝鮮人民共和国独立宣言。A米ソ、南北朝鮮の軍政布告(09)
ベトナム民主共和国独立宣言(09)
米軍政、人民共和国解散を命令(10)
米英ソ外交会議、朝鮮半島5ヶ年信託統治発表(12)
>1946年
イラン国連に提訴、ソ連の内政干渉を(01)→ソ連軍撤退、イランより(05)
@南朝鮮(米国派他)、信託統治反対国民大会。A南朝鮮、国防警備隊創設(01)
北朝鮮、保安隊創設(02)
北朝鮮、土地改革法(農民の集団化)公布(03)
米軍政庁、38度線無許可越境禁止(05)
中国、国共満州停戦協定(06)
チェコ、共産党内閣成立(07)
テグ暴動発生(米軍政抗議 南朝鮮全土で)(10)
日本国憲法発布(11)
>1947年
モスクワ外相会議(米ソ対立始動)(03〜04)
北朝鮮、人民集団軍を編成(05)
インド独立(08)
中共、満州に人民政府樹立(09)
第2次米ソ共同委員会決裂(10)
国連、国連朝鮮委員団設置と総選挙を決議(11)
@カシミール紛争(ご参考)。Aハワイ立州法案、上院で否決(12)
>1948年
ソ連、国連朝鮮委員会の入北拒否通告(01)
チェコ、共産クーデター(02)
北朝鮮、人民軍創設(02)
ブリュッセル条約調印、西欧連合成立(03)
済州島暴動発生(04)
南朝鮮で第一回総選挙(05)
第一次中東戦争(ご参考)(05)
ベルリン封鎖(06)
@大韓民国樹立(初代、李承晩大統領)。A李承晩の「北進統一(国家統一)」スローガン。B韓・米軍事暫定協定成立(08)
@朝鮮民主主義人民共和国成立宣言。A金日成「国土完整(国家統一)」の演説。B駐北朝鮮ソ連軍撤兵を声明(09)
国連、韓国政府を正当政府として承認(12)
@国連総会、世界人権宣言採択。A中共軍、北京入城(12)
>1949年
コメコン成立(01)
エジプト・イスラエル休戦協定(02)
ソ朝経済文化協定(03)
@北大西洋条約機構成立。A日韓通商協定(04)
@北朝鮮軍、オンジン半島第一次侵攻(05〜06)。A米、駐韓米軍撤兵を声明(05)
西独政府成立、ベルリン封鎖解除(05)
金九暗殺(李承晩派将校に)(06)
北朝鮮軍、オンジン半島第二次侵攻、新南地区(08)
ソ連、原爆保有を発表(09)
@中華人民共和国成立(毛沢東主席)。A東独政府成立(10)
中朝国交樹立(11)
中華民国、台湾に遷都(12)

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語句説明(1)

パリ平和(講和)条約
 イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド等(ドイツ・オーストリア除く)の枢軸国と米・英・仏・ソ蓮等の連合国(21ヵ国)との第二次世界大戦における講和会議(1947/02)。
 モスクワ外相会議(1945/07)を踏襲、領土の削減(1937年段階の国境)、民主化と軍備制限、賠償金などを定めた。
 この会議はヨーロッパの戦争に関する講和会議なので日本、中国などは不参加(アジア地域はサンフランシスコ講和会議が該当)、ドイツ・オーストリアとは別に締結。
コミンフォルム設置
 ☆コミンテルンの解散(1943/05)後、積極化した米国のヨーロッパ諸国支援政策(トルーマン・ドクトリン(1947/03)、マーシャル・プラン(1947/06)など)への対抗策。
 ☆ソ連をはじめとするヨーロッパ9か国(ユーゴスラビア、ブルガリア、ソ連、フランス、チェコスロバキア、イタリア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド)の共産党などが設立(1947/10)した情報交換、活動調整のための連絡機関。正式名称は、共産党・労働者党情報局。
 ☆ソ連共産党の指導下にあったが、ユーゴスラビアの除名(1948/06、チトーとスターリンの対立)、ソ連とユーゴスラビアの和解、スターリン批判を経て解散(1956年)した。
カシミール紛争
 ☆カシミール地方(パキスタン北部とインド北西部)は、イギリス統治時代の藩王国で、国王はヒンドゥー教徒、住民の多数はイスラーム教徒であった。英領から独立(1947年)した印パ両国は、領有権を主張(国王はインド、住民はパキスタン)して戦争に発展(1947/10)。
 国連の調停(1949/01)で停戦ラインが設けられたが、第2次印パ戦争(1965/08)、第3次印パ戦争(1971/12)と紛争は継続。
 現状は、両国に中国を加えた3カ国が、実効支配地域分け合う状態が続いている。インドは全域の領有を主張、パキスタンは住民投票による帰属決定を要求。
チェコ、共産クーデター(二月事件)
 ソ連の介入でマーシャル・プラン(1947/06)受け入れ拒否を主張した共産党(第1党)が、クーデター政権を奪取した事件(1948/02)。
 隣国のポーランドやハンガリーで、共産党一党体制が成立してゆく中、第二次世界大戦以後ソ連の影響力が強まり、議会制民主主義下のチェコスロヴァキアでも、第一党の共産党による連立政権が成立(1946年)した。
 冷戦下、マーシャル・プラン受入れ拒否を契機に非共産党系政党との対立も深まるが、取締り強化と圧力行使によりそれらを排除、共産党単独政権を樹立、共産党による新憲法制定(1948/05)後、共産党のゴッドワルト大統領が誕生。
 これに衝撃を受けた西側諸国は、共産主義勢力の西側への浸透を防止する目的で、西ヨーロッパ連合条約(1948/03 ブリュッセル条約)を締結し、それはやがて西ヨーロッパ連合へと改組され、集団防衛体制となった。
ブリュッセル条約(西欧同盟条約)
 西欧5カ国(イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)がブリュッセルで調印した条約(1948/03)。正式名称は「経済的、社会的および文化的協力と集団自衛のための5ヵ国条約」。
 冷戦下、共産党によるチェコスロヴァキアのクーデター(1948/02)を契機に、共産圏の武力侵攻への対抗とドイツ軍国主義復活の阻止を目的に、英仏間のダンケルク条約(1947年 相互防衛)を拡張して締結。
 その後、西ドイツとイタリアを加えた修正ブリュッセル条約(西欧同盟条約)が締結(1954/10)され、西ヨーロッパ連合(WEU)が成立した。
ベルリン封鎖
 東西分割占領中のドイツで、米英仏の占領地区(西側)からベルリン(西ベルリンは米英仏占領)にいたる交通路(道路・鉄道・水路)をソ連が封鎖した事件(1948/06〜49/05)。
 ソ連は西側の通貨改革(1948/06)に反発し、西ベルリンを封鎖(警告的部分封鎖は1948/04から)するも、米空軍による物資の「大空輸作戦(延べ27万回、総輸送量183万トン)」により効果も薄れた。
 また、東欧ブロックからの主要な輸出の封鎖で対抗されたため、翌年両者間の交渉で封鎖は解除された。

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<ある秋 (東京 昭和記念公園)>

 

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◆概要(2)

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◆朝鮮戦争の年表(2)

>1950年
@軍事顧問団設置の韓米協定成立。Aソ中北朝鮮、北京会議。B韓米相互防衛援助協定(01)
中ソ友好同盟相互援助条約締結(02)
韓国、農地改革実施(04)
@北朝鮮、平和統一決議案採択。A北朝鮮軍、南侵命令発布、朝鮮戦争勃発。B北朝鮮軍、ソウル占領。C国連安保理、北鮮の侵略中止、撤兵決議。D国連安保理、韓国援助決議(06)
@米軍、鳥山で北朝鮮軍と交戦。A全韓国戒厳令公布、韓国政府釜山に移転。B国連軍結成決議(07)
国連軍、晋州を奪還(08)
日本、警察予備隊公布(08)
国連軍、ソウル奪還(09)
韓国軍、平壌占領(10)
中共軍介入、第一次攻勢に(11)
@中共軍、第二次攻勢に。A国連軍、総退却。B中朝軍、平壌を占領。C国連、停戦決議。D中共拒否(12)
>1951年
@中朝軍、ソウル突入。 A国連軍、本格的攻勢開始(01)
国連軍、38度戦再突破(03)
イラン、石油国有化(03)
国連総会、対中共戦略物資禁輸を決議(05)
@米、ソ連に和平呼びかけ。Aソ連休戦会談提案(06)
@国連軍、現地点停止を命令。A開城にて第一回停戦会談(07)
国連軍、平壌爆撃(08)
日本、対日講和条約、日米安保条約締結(09)
板門店で休戦会談(10)
軍事境界線確定で休戦合意(11)
>1952年
李承晩ライン宣言(01)
トルコ、NATO加盟(02)
国連軍、水豊ダム爆撃(06)
エジプト、クーデター(ご参考)(07)
休戦会談休会。国連軍、金化に攻撃開始(10)
米、水爆実験(11)
>1953年
スターリン死去(03)
@周恩来、休戦新提案、モロトフ、金日生支持。A板門店会談再会(04)
捕虜送還協定調印(06)
@中朝軍、最後の攻勢開始。A休戦協定成立(07)

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語句説明(2)

第一次中東戦争(パレスチナ戦争)
 第二次世界大戦後の国際連合によるパレスチナ問題(ユダヤ人のパレスチナ移住を起因としたアラブ系住民との対立)調停案(パレスチナ分割案)が紛糾
 イスラエルの独立宣言(1948/05)を契機に、民族紛争に発展、周辺アラブ諸国(アラブ連盟加盟のシリア、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプト)の軍が一斉に侵攻し、戦争(1948/05〜49年)となった。
 イスラエル軍有利の中、個別に休戦協定が締結され、イスラエルは国連分割案よりも広い土地を占領したまま独立を確保、パレスチナ人地区とされたヨルダン川西岸はヨルダン、ガザ地区はエジプトが獲得し、パレスチナ人国家実現しなかった
 以後、数次にわたる紛争(1956年のスエズ動乱、1967年の六日戦争、1973年の十月戦争)と平和協定(1979/01:エジプトと。同年5月:シリアと停戦協定。1979/03:エジプトと平和条約)が繰り返された。
  また、戦場となったパレスチナの地からの多数の難民が周辺地域(ヨルダン、レバノンなど)に流出し、パレスチナ難民問題を提起した。
コメコン
 東西冷戦下、ソ連邦東欧社会主義国(アルバニア、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア)が結成した経済相互援助体制(1949/01)。その後、東ドイツ(1950年)含め4カ国が加盟。
 アメリカのマーシャルプランに対抗して、東欧の結束と経済力(工業化やインフラ整備)強化を目的とした。
 その後の環境変化(スターリン死去(1953年)、西側のヨーロッパ経済共同体(EEC)創設(1958/01)、中ソ対立とアルバニアの脱退(1962年)、東欧諸国間の経済・技術格差拡大)の中、次第に活動は停滞
 社会主義からの離脱となった東欧革命(1989年)の激震を受け機能は停止、ソ連邦解体(1991/12)の流れの中解散(1991/06)した。
イラン、石油国有化
 イランの資源ナショナリズム運動下で、モサデグ首相が石油国有化を断行(1951/03)したが、米国などの介入で軍部によるクーデターが勃発(1953年)、政権が崩壊して挫折した。
 しかし、その後のイラン革命(1979年)による政権転換を経て、石油国有化実現された。
 中東で最初に発見(1908年)されたイランの油田は、英国の国策会社であるアングロ=イラニアン石油会社(AIOC)が開発、パフレヴィー朝イランの皇帝や貴族を懐柔、利益(配当金)を独占した。
 サウジアラビアの石油開発(1951年)が、新参のアメリカのアラムコ石油会社とサウジアラビアのサウド国王との利益折半で始まると、AIOCの利権独占に対する反発から、イランのモサデグ首相が、石油国有化を断行(1951年)した。
 英国の国際裁判所提訴は棄却されたが、英国は世界の石油資本と共同してイラン原油の締め出しを画策、減産による財政困窮化へ誘導、その後、米国の介入などで軍部のクーデター(1953年)を誘発、政権は崩壊して、パフレヴィー2世の専制政治が復活した。
 イランの油田は、国際石油資本(七大石油会社=メジャーズ)の合弁会社の管理下に入り、国有化は失敗した。
李承晩ライン宣言
 李承晩韓国初代大統領が国際法に反して、一方的に宣言(1952/01)した「海洋主権」の領域設定で、朝鮮半島周辺の広大な水域をその範囲(日本領竹島含む)とした。
 天然資源の韓国の一方的な主権主張は、日本との間に、漁業紛争(拿捕・抑留された日本の船・船員の数は233隻・2791人)と竹島領有権紛争招来した。
 その後の日韓基本条約締結(1965年)で、李承晩ラインは廃止され、漁業紛争は決着したが、竹島問題(韓国の不法占拠)は未解決で残った。
エジプト、クーデター(エジプト革命)
 ナギブとナセルが率いる自由将校団がエジプト王国(ムハンマド・アリー朝 ファルーク国王)を倒し(1952/07)、エジプト共和国を樹立(1953年)したクーデターで、革命政府は農地改革法などを制定し、社会改革(エジプト革命)を断行した。
 オスマン帝国より独立した王政(1922年)は、第二次世界大戦後も存続したが、第一次中東戦争での敗北や民族運動(英軍撤退や完全独立の要求)の昂揚する中、権力の腐敗等で民衆の支持を喪失、このクーデターにより消滅した。
 エジプト人自身によるその後のエジプト革命は、非同盟中立政策やスエズ運河国有化、アスワン・ハイダム建設等社会主義的経済政策の導入へと継承された。
 また一方、中東における王制打倒、民族主権の確立をもたらし、アラブ世界全体に大きな影響を与えた。そしてナセルは「アラブの英雄」、第三世界のリーダーの一人として脚光を浴びることに。
朝鮮半島の政治団体の対立と抗争
 米ソの分割占領(38度線)と統治という環境の中で、各政治団体は、@朝鮮半島の一体的な独立を、A早期に実現する為に活動した。しかしながら、日本の朝鮮併合(1910年)時の抗日闘争勢力の帰朝を含め、多種多様な団体(注1)が存在する中、統一的な実施政策の策定で、米ソ両陣営の対立や協議の停滞、そして後の決裂で、各政治団体間の主導権争いや抗争も激化し、暗殺による犠牲者や南北統治者への抵抗運動も派生した。
 米英ソ3国外相のモスクワ会議(1945/12)で、統一政府の樹立や信託統治の協定がなされたが、各政治団体間の賛否で闘争が激化、@北部朝鮮では信託統治賛成の金日成と左翼が勢力を拡大(反対勢力はソ連軍が弾圧)、A南部朝鮮では反対の李承晩や右翼勢力が台頭(紙幣偽造事件もあり米軍政庁と朝鮮共産党の対立激化)した。
 そして、第二次米ソ共同委員会(1947/8)決裂後、米国は国連に上程、国連で、@国連朝鮮委員団(南北朝鮮代表選出組織)の設置、A委員団監視による普通選挙の実施を決定した。しかしながら、総選挙実施にあたり、ソ連軍政による委員団の入北拒否を受け、南朝鮮だけでの総選挙(1948/5)実施を国連が決定した。
 この結果、半島南部に大韓民国(李承晩大統領 1948/8)、北部に最高人民会議代議員選挙(1948/8)をへて朝鮮民主主義共和国(金日成首相 1948/9)が成立した。民族としての独立は成就したが、南北にまったく異質の朝鮮民族国家が誕生し、統一という悲願が重く残されてしまった。
 注1、北部朝鮮では、@ソ連派:日本の朝鮮併合前後に沿海州へ退避しソ連共産党で活動した団体、Aパルチザン派:朝鮮北部や満州の抗日ゲリラ団体(金日成他)、B中国共産党傘下の抗日闘争団体や国内民族派、国内共産党派などが、南部朝鮮では、@米国で独立運動を進めた米国派(李承晩他)、A重慶で大韓民国臨時政府を主導した重慶派(金九他)、B民族右派や左派、国内共産派等が内在した。

 

東アジアの歴史に興味がある方は、別記(朝鮮半島の歴史、戦後中国の歴史、台湾の歴史、日本の歴史)もご覧下さい

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