これで納得 東南アジア史(古代〜19世紀) DVD 全2巻 2013/10
ジャワ通史 ビルマ人の南下 ヴェトナム史 アンコール朝 タイ人の南下 イスラーム化と植民地化(蘭、英、仏) ヴェトナム通史
現代インドネシアを知るための60章 2013/1 村井吉敬(著,編集),佐伯奈津子(著,編集),間瀬朋子(著,編集)
南北1800キロ、東西5000キロの海に囲まれた多島国家インドネシア。成立67年、アジアの大国、インドネシアのその多様性と魅力を描く。
日本で働く 外国人労働者の視点から 2021/3 伊藤泰郎(著,編集),崔博憲(著,編集)他
現代日本を支える外国人労働者について、どれだけ知っているだろうか。どんな事情で故郷を離れ、どのように日本で生きているのか・・
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インドネシアの歴史
(独立、発展、内紛)

歴史の概要   歴史年表   観光 


◆インドネシア概観

インドネシアの歴史

インドネシアの経済状況推移 (日本との比較)

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インドネシアの日本人旅行者

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◆インドネシアの歴史の概要   >>概観へ

<独立前史>

<独立に向けて>

<内政確立、第三世界のリーダを目指して>

<経済発展に向けて>

 

<地域紛争の激化>

 



世界遺産 インドネシア編 DVD 2003/12
熱帯雨林気候のインドネシアにあって、オーストラリアからの乾燥した季節風でサバンナに覆われる小スンダ列島のコモド国立公園を始めとした、魅力あるインドネシアの風景が満載。
楽園の島と忘れられたジェノサイド 2020/7 倉沢愛子(著)
楽園の島で昨日まで共に暮らしてきた人々はなぜ殺人者と被害者に別れたのか。国軍や宗教を含む政治対立が招いた悲劇の・・
ビット・バイ・ビット デジタル社会調査入門 2019/5 マシュー・J.サルガニック(著)
ソーシャルメディアや納税記録などのビッグデータ、集合知を使った新しいサーベイ法、デジタル社会実験などの最先端の手法が、今、社会科学の世界を変えつつある。
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◆インドネシアの歴史年表   >>概観へ

 

インドネシアの歴史

出 来 事 備  考
<独立に向けて>
1945 08:インドネシア共和国独立宣言
09:連合軍(英軍)ジャカルタへ上陸
10:人民治安軍(国軍の前身)設立
10:スラバヤの闘い(10〜11 英軍、インドネシア革命軍衝突)
08日本降伏
09:ベトナム民主共和国独立宣言
10:国際連合発足
1946 01:英蘭連合軍、ジャカルタ制圧
11:リンガルジャティ協定(停戦、ジャワ等の政権の存在承認)
03:ベトナム、仏ハノイ協定(べトナムの自治承認)
07:フィリピン共和国独立宣言
12第一次インドシナ戦争(ベトナム、仏)
1947 07:オランダの第一次軍事行動開始 01:英、ビルマの独立承認
08:パキスタン、英自治領として独立
08:インド、英自治領として独立
1948 01:レンビル休戦協定(国連仲介で停戦へ)
09:マディウン事件(共産党支持の一部国軍蜂起、共和国軍に鎮圧)
12:オランダの第二次軍事行動開始(ジョクジャカルタ空襲、スハルノ逮捕)
01:ビルマ、共和国として独立
05:第一次中東戦争勃発
06:ベルリン封鎖(ご参考
08:大韓民国成立
09:朝鮮民主主義人民共和国成立
1949 08:ハーグ円卓会議(08〜12、国連仲介、停戦、オランダ主権移譲、西ニューギニアを除く)
12インドネシア連邦共和国成立
04北大西洋条約機構(NATO)を組織
10:中華人民共和国成立(ご参考:台湾の歴史

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<大湯沼 秘湯満喫 (秋田 後生掛温泉)>

 

<内政確立、第三世界のリーダを目指して>
1950 08:インドネシア連邦制廃止、単一国家創設を宣言 06朝鮮戦争勃発
1951 09:日本との戦争賠償交渉開始 09:サンフランシスコ対日講和条約調印
10スエズ運河で武力衝突(英、エジプト)
1955 04:アジア・アフリカ会議(バンドン、第三世界をリード:平和10原則、集団自衛権を共同宣言) 10:ベトナム共和国(南ベトナム)成立
1957 12:オランダ資産の接収 08:マラヤ連邦、英連邦内で独立
1958 01日本と平和条約、賠償協定(約2.2億ドル)調印 07:イラクで共和国成立(軍、クーデタでファイサル王朝打倒)
1959 07:スカルノ大統領権限強化、指導される民主主義への転換(社会主義国との友好強化) 01キューバ革命。カストロ、バティスタ政権打倒
08:第一次中印国境紛争。ハワイ、米国50番目の州に
1960 **:イリアン問題(蘭所有の西ニューギニアの返還 )でオランダと断交 01:日米、新安保条約調印
12:南ベトナム民族解放戦線結成
1962 08:オランダ、インドネシア、西イリアン協定調印 05:ソ連、インドネシア武器供与協定調印
10キューバ危機勃発
1963 05:西イリアン、国連信託統治よりインドネシア統治に移管 07:マレーシア建国(マラヤ連邦、英領サラワク、サバ、シンガポールが合併)
1964 05:スカルノ大統領、マレーシア粉砕国民指令発布(英の新植民地支配として反対キャンペーン実施)
09:インドネシア軍降下で、マレーシア非常事態宣言
08トンキン湾事件(米艦、北ベトナム魚雷艇の攻撃で交戦)
10:中国、初の原爆実験成功
<経済発展に向けて>
1965 01:国連脱退(マレーシアの国連安保理事国決定で)
09:左派将校団のクーデタ(09/30事件)、スハルト少将鎮圧
10:スハルト少将、共産党の弾圧開始
02米軍、北ベトナムへの北爆開始
06:日韓基本条約調印
08:シンガポール、マレーシア連邦より分離独立
09:第二次印パ戦争勃発
1966 03:スハルト少将、スカルノ大統領より権限を移譲、左派閣僚15人逮捕
08:マレーシアと平和協定調印
09:国連に復帰
04:南ベトナム、全土に反政府、反米デモ拡大
08:中国、紅衛兵の街頭運動開始

 

       

1967 03:スハルト第二代大統領に。開発政策(経済・観光)で日本と関係強化
08東南アジア諸国連合(ASEAN)結成(インドネシア他4ヶ国)
06:第三次中東戦争
07:欧州共同体(EC)成立
1969 07:住民投票で西イリアン、インドネシアに帰属決定 08:中ソ、新疆ウイグル地区で大規模な軍事衝突
10:米国各地でベトナム反戦活動活発化
1974 01反日暴動(急激な日本の進出が現地社会との摩擦を) 03:ビルマ、12年ぶりに民政移管
04ポルトガル植民地解放宣言(アンゴラ、モザンビーク、東ティモール)
07:トルコ軍、キプロスへ侵攻
**:ハワイ初の日系人知事誕生
1975 05ポルトガルの東チモール支配終焉。独立かインドネシア合併か紛争発生。
12:ポルトガル領ティモール紛争(合併派がアタンブアで合併宣言)に軍事介入、首都ディリ占領
04:南ベトナム臨時革命政府、全権を掌握
07:ポルトガル、左派軍事政権へ移行
11:南北ベトナム、統一文書に調印
1976 05:東ティモール臨時政府、インドネシアへの併合宣言(27番目の州に)
12:「自由アチェ運動(GAM)結成」、アチェに自治政府成立(アチェ、スマトラ国の独立を宣言)
04:中国、インド国交正常化
07ベトナム社会主義共和国成立
09毛沢東主席死去
<地域紛争の激化>
1991 11:サンタクルス事件(インドネシア、東ティモール住民の虐殺) 01湾岸戦争勃発(02:多国籍軍クウェート解放で終結)
12社会主義国家ソ連解体(CIS協定、11ヶ国署名)
1996 10:東ティモール人権活動家にノーベル賞 03:英国で狂牛病発生、EU英国産牛肉全面禁輸
09:北朝鮮潜水艦が韓国潜入
1997 10:インドネシアに、IMF・日本他が国際支援(360億ドル)
**:(インドネシア経済停滞へ。GDP8.2%(1995年)→0.2%(1999年))
07アジア通貨危機
1998 05:各地で華人への暴動発生、スハルト退陣、ハビビ政権へ
12:インドネシア軍とアチェ住民の衝突激化
06インド・パキスタン核実験
12:米英、イラク軍事施設を爆撃
1999 08:国連監視下で東ティモール住民投票
10:インドネシア東ティモールの独立を承認
03:アフガニスタンで内戦再開(和平協議合意の翻意)
04カンボジア、ASEAN加盟
2001 01:政府、「自由アチェ運動(GAM)」が暫定合意締結
07:政権交代、ワヒド大統領→メガワティ大統領に
09米同時多発テロ
10米英軍、アフガニスタン空爆開始
2002 05東ティモール民主共和国として独立
10バリ島でテロ発生、187人死亡(2005/10にも発生)
12:政府、GAMと和平協定調印
03:イスラエル(ネタニア)で、パレスチナ人の自爆テロ発生
10:モスクワで劇場占拠のテロ発生
10:イラク、大量破壊兵器査察受入れ
2003 05:GAMとの和平交渉決裂、アチェに軍事非常事態宣言発令(2005/08:政府と平和合意) 03イラク戦争勃発、米英軍空爆開始
10:中国初の有人宇宙船打上げ成功、米ソに次3番目

 

◆インドネシア雑記   >>概観へ

○インドネシア共和国

<国家の特徴>

<国土、経済>

 

○インドネシアの歴史教育

 

○インドネシアの観光   >>概観へ

<観光開発の概要>

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<一景 (健康散歩)>

 

<観光ポイント>

 



歴史と人口から読み解く東南アジア 川島博之(著) 2023/12
日本人が知らない東南アジアの歴史と社会! 11か国、6.7億人の一大経済圏の実相! 歴史を知り人口動態を読めば国の内情が見えてくる!
TSUNAMI 津波 DVD 2008/6
2004年12月、東南アジアの海岸一帯を襲ったインド洋大地震(スマトラ島沖大地震)による大津波。リゾート地の観光客や貧しい現地の人々を突然襲った大災害とその後の混乱、家族を失った人々の苦しみ、事態収拾にあたった人々の悩みを、克明な取材で・・。
教養としての「日本列島の地形と地質」 2021/12 橋本純(著)
地質学は資源開発以外にも、地質に残る過去の災害の歴史から、地震や火山噴火、地すべりや土石流などの土砂災害の発生原因の究明や防災対策にも・・
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○インドネシアと日本との関係   >>概観へ

<貿易と投資>

<戦後賠償と経済協力>

 

      

 

○インドネシア関連記事

タイトル・内容
2006 10 米の人口、3億人突破へ 中国・インドに続き3カ国目
人口が3億人を超えるのは、中国(人口約13億人)、インド(同約11億人)に次ぎ3カ国目。第4位はインドネシアで、約2億2600万人。
09 「対日関係良好」、東南ア・印で9割超…7か国調査
「アジア7か国世論調査」を実施した。東南アジア諸国では、「日本との関係が良い」と見る人が9割以上に達した。調査は、インド、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、韓国および日本の7か国。日本との関係が「良い」は、インドネシアとタイでは「非常に」と「どちらかといえば」を合わせてそれぞれ96%に達し、ベトナムで計92%、マレーシアでは計91%に上った。「日本は世界に良い影響を与えているか」では、「与えている」がインドネシアで計91%。東南アジア、インドでは8割を超えた。人道復興支援のための自衛隊海外派遣に「賛成」は、インド洋大津波の被災地支援で自衛隊が派遣されたインドネシアで計83%に上った。韓国以外の国で「賛成」が「反対」を上回った。日本の首相の靖国神社参拝を「構わない」という人は、タイで59%、マレーシアでは52%に上った。ベトナム、インドでも多数。韓国インドネシアでは「そうは思わない」が各86%、41%で、「構わない」を上回った。「中国の経済発展が、自国経済に与える影響」では、「プラスの影響が大きい」がインドネシアとマレーシアで66%に上るなど「プラス」が5か国で多数を占めた。「マイナス」が多数だったのは、韓国(42%)と日本(36%)だった。
09 パプアニューギニア東部でM6.8の強い地震
パプアニューギニア東部のブーゲンビル島付近で1日午後8時18分(日本時間同7時18分)ごろ、マグニチュード(M)6.8の強い地震があった。被害や津波の発生などは伝えられていない。パプアニューギニア一帯は環太平洋火山帯にあるため、地震が起きやすい。
07 海外旅行者数 昨年は史上2位 「9月に夏休み」定着
05年の海外旅行市場は、航空機の燃油特別付加運賃(燃油サーチャージ)の徴収や中国、韓国での反日デモ、ロンドンやエジプト、バリ島での爆破テロ事件などを背景に5〜12月は前年実績を下回ったものの、通年で海外旅行者数は1740万3565人と前年比3・4%増となり、00年の1782万人に次ぐ史上2番目の高水準だった。(ご参考:最近の旅行環境の動向)
02 原油輸入:中東依存度、9割超 アジア産減り、37年ぶり−−昨年
日本が05年に輸入した原油のうち、サウジアラビアなどの中東産は90・2%に上り、原油の中東依存度が石油危機以前の68年以来37年ぶりに9割を超えた。日本は70年代の2度にわたる石油危機以降、中東だけに偏らない原油輸入に努め、それまでほぼゼロだった中国産を80年代に全輸入量の約8%、インドネシア産を約16%に増やした。この結果、68年に90・9%でピークだった中東依存度は、87年には67・4%まで低下していた。しかし、90年代以降はアジア諸国の需要が急激に増え、有力な産油国でもある中国は96年に原油輸入国に転じ、日本向け輸出も04年にほぼ停止。インドネシア産の輸入比率も93年から1ケタ台に低下し、05年は2・9%に落ち込んだ。不足分はサウジなどに頼らざるを得ず、中東依存度が高まる結果になった。
2005 08 ハワイの人気が上昇 米国人の旅行先
かつて、観光客が旅行先を選ぶポイントはSUN(太陽)、SEA(海)、SAND(砂)の『3S』といわれた。しかし今は違う。新たな3SはSAFETY(安全)、SECURITY(治安)、SANITATION(衛生)だ。01年の米同時多発テロに始まって、02年にインドネシアのリゾート地バリ島で起きた爆弾テロ事件、アジアで感染が拡大した新型肺炎(SARS)、昨年12月のスマトラ島沖地震・津波、先月のロンドン同時多発テロ。
05 ASEAN、東アジア戦略を考える
中国の台頭におされ、かつて世界経済の注目を集めたASEANは影がすっかり薄くなってしまった。ASEANの盟主だったインドネシアの不安定化から、いまでは政治的・経済的にも安定しているタイ・マレーシアがASEANの核となりつつある。ASEANの中で注目されるのは、5%を上回る成長を続けるタイ、マレーシアである。成長の原動力は、いずれもアジア危機を契機とした為替の切り下げによる輸出の急増だが、近年では単なる外資一辺倒から脱却し、自国の強みを活かした産業政策へと政策が高度化しつつあることも、経済発展に好影響を与えている要因として見逃せない。
04 アジア途上国で成長続く、中国がけん引…開銀予測
地震と津波の被災国では、モルディブが1・0%増と、04年の8・8%増から急減速を見込んだ。最大の被害を出したインドネシアは、04年の5・1%増に続いて05年も5・5%増と、比較的高い成長を維持すると見込んでいる。
02 世界の国外旅行者、昨年は過去最高、20年ぶり10%増
国連の世界観光機関(本部・マドリード)は2日、2004年の世界の国外旅行者数が過去最大の7億6000万人に達したと発表した。世界経済の回復に加え、新型肺炎SARSとイラク戦争で減少した03年からの反動で前年比10%増と、84年以来20年ぶりの高い伸び率を記録しており、01年の同時多発テロ以来の停滞から抜け出した。ただ、同機関の報告書は05年について、04年末のスマトラ沖大地震・津波による打撃に懸念を示している。04年の伸びを旅行先別にみると、前年にSARSが流行したアジア・太平洋で29%増、イラク戦争で渡航が手控えられた中東で21%増と高い伸びが目立った。同時多発テロの起きた01年から3年続けて減少していた北米は9%増と4年ぶりにプラスとなり、米州全体でも10%伸びている。
01 5年ぶりに海外旅行者が1700万人超へ、2005年の旅行見通し
日本からの海外旅行者数は、熟年層の堅調な旅行意欲、中国・アジア・米国を中心としたビジネス需要が後押しし、前年実績から3.6%伸びて、史上2番目にあたる1740万人に達するという。2004年末に起こったスマトラ島沖地震・津波の影響は一部には残るものの、同地域の海外旅行全体に占める割合は2%程度で全体への影響は少ないと分析している。海外旅行平均消費額は中国・韓国・アジアなど近場の旅行者が増えることを反映して、30万6200円(同1.3%減)で、海外旅行消費額は5兆3300億円(同2.2%増)としている。
2004 05 4社が過去最高益、原料高が追い風 大手商社3月期決算
住友商事はインドネシアの銅・金鉱山の収益が、丸紅はアジアの発電事業がそれぞれ貢献した。
2002 03 総合商社(1)丸紅 インドネシアの事業処理にめど
チャンドラーアスリ。インドネシア最大のこの化学プラント会社の処理は、九九年四月の最大の懸案事項。インドネシア側の融資金が五億四千万ドル、日本側は七億八千万ドルの大規模プロジェクトだが、九七年秋のアジア通貨危機によって、出資していた地元有力企業が撤退、これをインドネシア政府が肩代わりした。金利支払いが年間一億ドル規模に達し、丸紅の連結収益を大きく圧迫。昨年十月にはようやくインドネシア政府との間で処理案に基本合意。バブル経済崩壊以降抱えてきた不良債権や株式評価損も合わせて特別損失二千八十億円を計上、単年度で一気に処理することになった。

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<一景 秘湯堪能 (秋田 孫六温泉)>

 

◆語句説明   >>概観へ

○華人への暴動(1998年)

インドネシアでは、人口比率3%の華人(華僑とは異なり、居住する国の国籍を持ち、その国の言葉を話す第3・第4世代の人々をさす)が富の80%を握っているといわれる。

絶対的少数であることの政治的、社会的不安から、結果として政権と癒着して、閉鎖的に経済的優位を得てきた。インドネシアでの華人暴動の背景にはこの富の偏在の問題が。

インドネシア各地で華人への暴動が発生(1998/05)、スハルト政権が退陣、新たにハビビ政権が誕生。

○東ティモールの独立(2002/05)

インドネシアのバリ島の東、小スンダ列島東端の東ティモール(国土は長野県相当)は、約25年間のインドネシアとの紛争を経て2002年5月「東ティモール民主共和国」として独立。

19世紀半ば、リスボン条約によりティモール島はポルトガルとオランダにより東西に分割され植民地となる。ポルトガルの植民地解放宣言(1974年)で東ティモールは独立を獲得したが、独立かインドネシア合併かで紛争が発生、インドネシアの軍事侵攻により併合(1976年)。

以降火種を抱えた状況の中で、インドネシア軍による住民大量虐殺事件(1991年、サンタクルス事件)の発生、スハルト長期政権の崩壊(1998年)と新政権の独立容認姿勢を受けて、1999年国連監視下で独立の住民投票を実現

○アチェ独立運動

32年間続いたスハルト政権下で押さえつけられていた政治的・経済的自由や、民族自決を求める声がインドネシア各地で発生。スマトラ島の最北端ナングロアチェ州でも独立運動が。

ナングロアチェ州(旧アチェ特別州)は人口410万人、住民の大半がイスラム教徒。英蘭協約(1824年)でアチェ王国の独立が保証、マラッカ海峡を境にマレー半島側は英国、スマトラ半島側はオランダと勢力圏を確定。

オランダが国内に侵攻してアチェ戦争が開始(1873年)、1903年にオランダに降伏。以降、インドネシア共和国成立で連邦内自治国として独立(1949年)、北スマトラ州への統合編入(1950年)、特別州の地位獲得(1959年)。

しかし自治権はほとんど認められず、スハルト政権時代には、石油、天然ガスなどの豊富な地下資源の利権が中央政府に独占される。

アチェ族は「自由アチェ運動(GAM)」結成、アチェに自治政府樹立(1976年)し政府軍との戦いを開始、東ティモールの影響も受け独立運動が活発化、住民投票を求める大規模なデモも。政権交代と共に和平協定に調印(2002年)するも、翌2003年に政府の大規模なGAM帰討作戦が遂行され民間人にも多数の死者が発生、戒厳令が発令。

 

○ボロブドール寺院(世界遺産)   >>概観へ

インドネシアのジャワ島にあり、8世紀から9世紀にかけて繁栄した仏教王国の遺跡。切石を積み上げて作り上げた巨大な建造物(一辺120m、高さ33.5m)で、真上から見ると仏教の曼荼羅模様に見えます。 ジャワ島中部のジョクジャカルタから北西約40Kmにある大乗仏教遺跡。

インドネシアには、当初インドからヒンズー教が伝えられ、4世紀から5世紀にはジャワ島西部にヒンズー教のタルマナガラ王国が起こりました。仏教もインドからもたらされ、南スマトラを中心にシュリビジャヤ仏教王国も繁栄しました。ボロブドール寺院はシャイレーンドラ王時代のものとされます。

1814年英国人ラッフルズが発見、1900年にオランダが、1973年からユネスコが寺院の修復作業に入り、1991年に世界遺産に指定。

7世紀ころには、ヒンドゥー王国や仏教王国が栄え、壮大な建築物や寺院の多くが建造され、シャイレンドラ王家が建造したボロブドゥールや、ムンドットなど素晴らしい遺跡が今でも残されています。この時代にスマトラにスリウィジャヤ王国が栄え、東南アジアで最も強大な王国として600年間勢力を誇りました。

13世紀、更に強大なヒンドゥー王国マジャパイトが東ジャワで台頭し、その後200年間インドネシア全域とマレー半島の一部を統合。この黄金期の名残はジョグジャカルタ付近のプランバナン寺院群や東ジャワのペナタラン寺院・ディエン高原の遺跡群など、ジャワ島内のいたるところで見ることができます。

 



南アジアと東南アジア 〜15世紀 2022/5 荒川正晴(編集),大黒俊二(編集)他
南アジア世界と東南アジア世界の初期国家の形成と諸帝国の盛衰、サンスクリット語・文化の伝播、インド化とマンダラ政体等を軸に、両者の交流・・
20世紀のグローバル・ヒストリー 大人のための現代史入門 2021/9 北村厚(著)
人種主義やジェノサイドなど、人類共通の問題群を主軸に据え、世界現代史の再構築を試行・・
新版 社会福祉行政 福祉事務所論から新たな行政機構論へ 2021/8 畑本裕介(著)
大改革が進む社会福祉行政の原理と歴史を基礎から詳解、現代的課題を考察。
アメリカ 魂のふるさと ダイジェスト DVD 2007/2
超大国アメリカの歴史と真実に迫る壮大なスケールの紀行ドキュメンタリー:ここからアメリカは始まった アメリカン・ドリームに惹かれて他

 

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