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トルコ旅行 
広大な自然と悠久の歴史(2008/02)

観光地:>写真   >概要   トルコ:>概観   >歴史 

トルコ旅行(ご参考:世界の海外旅行者訪問先22位)に行ってきました。ツアー参加者全員の善行の賜物で、期間中雨は降らず概ね天気の良い日が続きました。時期外れではありましたが、また異なった風景を味わうことができました。中には気に入る写真があるかも知れません。暇があったらのぞいて見て下さい。

 

期間
2008/01/31から10日間

行程
アンカラ→「サフランボル」→アンカラ観光→「カッパドキア」→カイマルク地下都市→コンヤ市内観光→「パムッカレ」→エフェソス遺跡→アイワルク→「トロイ遺跡」→「イスタンブール観光、ボスフォラス海峡クルーズ」

備考
数日前に降った雪が深々と残るトルコ。(1)残雪と広大な自然が織り成す得もいわれぬ風景、(2)各地の遺跡の数々がもの語る悠久の歴史(3)素朴で人懐っこい人々、(4)トルコの宣伝に献身的な現地ガイドさん、色々なことが再度の来訪を強く誘惑します。

季節の良い頃には、また別のトルコを演出してくれることと思います。帰国後の日本の寒さに閉口しながらも、カッパドキアとエフェソス遺跡のすばらしさに、感銘を新たにしています。

 

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◆観光地の主な写真

1 サフランボル
(世界遺産)
2 アタチュルク廟 (アンカラ) 3 アナトリア
文明博物館
4 アンカラ城壁 5 らくだの谷
(カッパドキア)
6 洞窟ホテル
近傍
(カッパドキア)
7 カッパドキア
(世界遺産)
8 ギョレメ野外
博物館
9 ゼルベの谷 10 地下都市カイマルクを背に 11 キャラバンサライ(隊商宿) 12 沈む夕日
(コンヤ)
13 インジェ・ミナーレ神学校 14 メブラーナ
博物館
15 ある展望
(パムッカレ)
16 ヒエラポリス遺跡
(パムッカレ)
17 石灰だな
(パムッカレ)
18 石灰だな
(世界遺産)
19 エフェソス遺跡 20 エーゲ海の朝陽
(アイワルク)
21 トロイ古代遺跡(世界遺産) 22 ダーダネル海峡(フェリー) 23 ボスフォラス海峡(クルーズ) 24 ボスフォラス海峡2
(クルーズ)
25 アヤソフィア
(イスタン
ブール)
26 ブルーモスク
(世界遺産
地区)
27 トプカプ宮殿
表敬の門
28 グランド・
バザール
29 ホテル展望
(イスタン
ブール)
30 リステムパシャ・モスク

 

◆トルコ旅行の経路

 

 



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◆観光地の概要

名 称 概      要
サフランボル
  黒海から約100Km、首都アンカラから北におよそ200Kmの乾燥した峡谷にあり、古くから香料サフランの集積地として発展。17世紀ごろに最盛期を向かえ、鉄道の発達とともに20世紀には衰退の一途をたどる。当時のモスク・浴場・隊商宿・住居等が現存する旧市街が、1994年に世界遺産として登録される。

アタチュルク

(アンカラ)
  第一次世界大戦で連合軍に敗戦したオスマン・トルコ帝国は領土の大半を喪失し、混乱の中、祖国開放戦争(ギリシャ等関連国)、トルコ革命を経て、1923年のローザンヌ条約で共和国として独立を果たす。
  独立により初代大統領になったケマル・アタチュルク(トルコの父の意味)は、新憲法発布、スルタン制度廃止、イスラム教の非国教化の大改革を実施、トルコ近代化・西欧化を実現する。
  トルコの危機を救った英雄ムスタファ・ケマル・パシャが静かに眠る墓(1934年)。外壁には生前の演説の一部が刻まれ、回廊には彼の愛車等所持品が展示されている。

  写真:アタチュルク廟   廟を背に   庭園より遠景 
アナトリア
文明博物館
(アンカラ)
  旧石器時代から紀元前500年くらいまでの出土品や遺物が、年代順に陳列されている。アナトリア文明の初期の遺物・ヒッタイト文化に関しては、世界最大級の博物館となっている。

アンカラ城塞
  当時はガラティアン城壁(9世紀)とローマ城壁(7世紀)により、二重に囲まれた城塞であったが、現在は静かな村の中に、城壁だけが残っている。

  写真:アンカラ城壁   城壁より遠景
カッパドキア
  ギョレメ地方は、アナトリア高原の中心にあり、古代王国の名に由来してカッパドキアと呼ばれる。エルジェス山の火山活動で堆積した溶岩や火山灰が、長い年月をかけて侵食されて出来た奇岩群で、異色の歴史と共に文化・自然の複合遺産として世界遺産に登録されている。

ギョレメ谷
(カッパドキア)
  4世紀ごろよりキリスト教徒がこの地に住みはじめ、岩の中に数多くの洞窟教会を造った。11世紀ごろ建造のりんごの教会・蛇の教会・暗闇の教会は保存状態が良く、内部の装飾・壁画を見ることができる。野外博物館として公開。

  写真:ギョレメ谷1   ギョレメ谷2   博物館1   博物館2

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<ある秋 秘湯満喫 (宮城 遠刈田温泉)>

 

ゼルベ
(カッパドキア)
  奇観のキノコ岩が連なるカッパドキアを代表する地域。キリスト教徒が去った後、トルコ人たちが洞窟住居に住み着いたが、現在は居住が禁止されている。

  写真:きのこ岩1   きのこ岩2 
カイマルク
(カッパドキア)
  イスラム教徒の迫害から逃れるために、キリスト教徒が造った地下8階の巨大地下都市(1964年に発見)。教会や学校もあり、約1.5万人が生活できると推定されている。

コンヤ
  11世紀から13世紀にかけて、セルジューク・トルコの首都がおかれた町で、全盛期には政治・文化・芸術の中心として栄えた。イスラム神秘主義教団「メブラーナ教」の発祥の地としても有名。

メブラーナ
博物館
(コンヤ)
  古くは教団の修行場・始祖メブラーナの霊廟であったが、1925年に宗教活動は禁止され、以降は博物館として使用されている。旋舞は観光行事として年1回1週間、コンヤ市内の体育館にて開催される。

  写真:博物館1   博物館2   博物館3
パムッカレ
  地中から湧き出た温泉により石灰質が堆積して、純白な石灰岩による高さ200mもの石灰棚が形成され、それが織り成す景観で有名な町。
   また、後景の丘陵にはペルガモン王国 や ローマ時代の遺跡が残っており、文化・自然の複合遺産として世界遺産に登録されている。

  写真:途中の風景
石灰棚
  カルシウムと二酸化炭素を含んだ温泉が、地表を流れ落ちる時に石灰質が沈殿して、長い年月の中で真っ白な石灰棚の景観を残した。

  写真:石灰棚1   石灰棚2   石灰棚3   石灰棚4
ヒエラポリス
  石灰棚の後背の丘陵に残るローマ時代都市遺跡。紀元1〜3世紀にローマ帝国の東の拠点として繁栄する。ローマ軍に加勢しこの町を征服した、ペルガモン王国がヒエラポリスと名づける。

  写真:遺跡1   遺跡2
エフェソス遺跡
  ギリシャ時代に小アジア最大の都市として栄えるが、紀元2世紀以降、港が土砂などで再興不能となってから衰退した古代都市ギリシャ時代からローマ時代にかけた遺跡群が残る。セルチュクという町にある。

トロイ遺跡
  初期青銅器文明の紀元前3000年から、ローマ時代の紀元400年までの栄枯盛衰が、9層の複雑な都市遺跡として印されています。遺跡は直径600m程度の城塞で、エーゲ海北部のビガ半島にある、小さなヒサルルクの丘にあります。入り口にはホメロスの描いたトロイ戦争で有名な、巨大な木馬が再現されています。

 

      

 

イスタンブール
  アジアとヨーロッパにまたがる、東西文明の接点になっているトルコ最大の都市。ボスフォラス海峡を境に、アジア側とヨーロッパ側の旧市街、新市街と3つに分かれている。数々の旧跡を持つ歴史と文化の街
   歴史とともに幾度と無くその名前は変遷して、紀元前7世紀の古代ギリシャの都市国家・メガラの「ビザンチウム」、西暦330年のコンスタンティヌス大帝の名をとった「コンスタンティノポリス(ローマ帝国の都)」、オスマン帝国の征服・遷都で現在の「イスタンブール」に。

アヤソフィア
(イスタンブール)
  巨大ドーム(直径約30m、高さ54m)が中央にそびえる、ビザンチン建築の大聖堂。ローマ時代にキリスト教会として立てられ、その後十字軍・オスマン帝国軍の略奪等を受けるが、復元されビザンチン美術の傑作といわれるモザイク画を有する、博物館として使用されている。

  写真:概観   モザイク画
ブルーモスク
(イスタンブール)
  巨大ドーム(高さ43m、直径23.5m)の周辺に、6本ものミナレット(尖塔)を持つイスラム教寺院。17世紀はじめにスルタン・アフメットによって立てられた、オスマン・トルコ建設の極みと言われる美しい寺院。内部装飾のイズニック産のブルーのタイルも有名。

トプカプ宮殿
(イスタンブール)
  15世紀にイスタンブールを征服した、メフメット2世が建設。4つの庭園エリアで構成され、オスマン時代の遺物の博物館に。第3庭園に宝石類の宝物館がある。第4庭園両奥からの海峡眺望は、絶好の撮影ポイント。

グランド
バザール
(イスタンブール)
  4千軒以上もの店(金銀細工・宝石・トルコじゅうたん・皮革製品・洋服等)が並ぶ、イスタンブール最大のマーケット

ボスフォラス
海峡
(イスタンブール)
  トルコ共和国をアジア大陸とヨーロッパ大陸とにわけ、黒海とマルマラ海をつなぐ風光明媚な海峡として有名。

  写真:遠景1   遠景2   遠景3   遠景4   遠景5   遠景6

 

◆トルコ共和国の概観

近年2度に亘る金融危機(2000/11、2002/2)後、IMF等の国際金融機関の支援を得つつ、財政赤字削減を中心にした経済構造改革を推進中。マクロ経済は全体として好調に推移。日本との関係も、大きな政治的懸案事項も無く、トルコ人も親日的で日本の文化に対する関心も高く良好な関係を維持。


・2002年〜2005年の実質GDP成長率は、6%〜9%で推移(2005年は7.4%)
・この間の世界の実質GDP成長率は、3%〜5%(2005年は3.8%)
・人口は6780万人(2000年)から7210万人(2005年)と1.06倍に増加

・主要都市の人口(2003年):イスタンブール(956万人)、アンカラ(373万人)、イズミル(230万人)
・トルコ:日本人の観光客訪問先第40位、世界の観光客訪問先第22位(2004年)。 「海外旅行、行き先の候補は」をご参照

 

 



世界遺産 トルコ編 DVD
奇岩が並び立つカッパドキアの岩窟群や、カッパドキアの修道士たちの描いた壁画のあるギョレメ渓谷の洞窟協会、イスタンブールの歴史地区など、トルコの神秘的な魅力を凝縮する。
文明の交差点の地政学 トルコ革新外交のグランドプラン 2020/11 アフメト・ダウトオウル(著)
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農の原理の史的研究 「農学栄えて農業亡ぶ」再考 2021/1 藤原辰史 (著)
個性的な農に関わる思想と実践を限界と可能性の視点から詳述。医・食・心・政・技を総合する未来の農学を・・
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☆☆ ひと休み ☆☆

<一景 (健康散歩)>

 

◆トルコの観光に際して

< 基本情報 >
 ○時差・飛行時間
  ★日本より7時間遅れ(トルコの正午は、日本では同日の午後7時に)
★日本とイスタンブール間は12時間50分
★日本→ミューヘン→アンカラは約15時間20分(飛行時間のみ加算)
 ○通貨と両替
  ★トルコの通貨単位は新トルコリラ(YTL)、1US$=約1.3YTL、1YTL=約95円 (2007/09現在)
★日本円でも両替できるが、米ドルかユーロの現金が良いかも。高額の買物はクレジット・ カードで
 ○その他
  ★現地の物価は概ね日本の1/3〜1/2程度、但し、場所(ホテルや高級レストラン等)によっては
  日本並みの料金に
★電圧220ボルト・周波数50ヘルツ、日本国内専用の電気機器は変圧器と変換プラグが必要に
★料理は日本人の口に合いやすいものが多い、名物料理はトルコ風焼肉のケバブ、トルコ風ハンバーグの
  キョテフ、ナスにひき肉や玉ねぎを詰めて焼いたカルヌヤルック等が

★モスク(イスラム寺院)に入る時は靴を脱ぎ、服装に注意(ノースリーブ・膝の見えるスカートは避ける)
★パムッカレのホテルは、温泉(天然の温泉、水温35℃程度)プールがついている所もあるので水着持参が
  良いかも
独特の歴史を持つ国ですので、トルコの歴史に関する書物を読んで出かけると良いかも

 

      

 

< トルコの気候 >
都市 項目 1月〜3月 4月〜6月 7月〜9月 10月〜12月
イスタンブール 最高気温(℃) 10〜12 15〜26 29〜22 21〜12
最低気温(℃) 0〜3 9〜19 21〜17 12〜3
降水量(mm) 100〜70 45〜21 21〜50 62〜115
アンカラ 最高気温(℃) 9〜11 16〜26 29〜25 21〜11
最低気温(℃) 2〜3 7〜16 20〜16 12〜5
降水量(mm) 46〜39 55〜37 9〜23 24〜47
東京 最高気温(℃) 7〜10 16〜24 28〜25 20〜10
最低気温(℃) 1〜5 11〜18 22〜19 13〜3
降水量(mm) 45〜100 125〜185 126〜180 164〜46

 

< イスラム教の基礎知識 >

  イスラム教は世界3大宗教の一つで、キリスト教についで信徒が多い。国民の大多数はイスラム教徒(主にスンニ派)であるが、第一次世界大戦後の共和国建国以来、トルコは政教分離の世俗主義国家となっている。イスラム教は、610年にマホメットが神の啓示を受けてメッカで創始。以来アラビア全土に普及、歴史の変遷の中で各地に広まった。

 ○アラー神の掲示、経典「コーラン」に服従
  ★信仰の告白(アラーの他に神は無く、マホメットは神の使徒であると唱える)
礼拝(1日5回メッカに向かって祈る)
喜捨(富める者は貧しい者に施しをする)

★断食(イスラム暦第9月に30日間実施)
巡礼(生涯に一度はメッカに詣でる)
 ○戒律と暮らし
  ★平常の礼拝とは別に金曜日(イスラム教の休日)の正午は、モスクで集団礼拝
★豚肉は食べず、飲酒も禁止
断食の1ヶ月は、日の出から日没まで一切の飲食(水、タバコを含め)を断つ
 ○イスラムの芸術
  ★偶像(人物や動物)礼拝を禁止、その結果「唐草文様・幾何学文様」が発達して、モスクの装飾・じゅうたんの
  柄などにその様子がうかがえる

 

◆トルコ共和国の歴史(略史)

トルコ共和国の歴史のもう少し詳細な内容については、「トルコ共和国の歴史(アナトリアを去来した国々)」を、第二次大戦後のトルコ共和国の歩みについては、「トルコ共和国の歩み EU加盟・経済財政改革推進」をご参照ください。

年号 小アジア
(アナトリア)
備       考
B.C.1650

B.C.730
ヒッタイト王国






☆印欧系ヒッタイト人が小アジアに侵入。ヒッタイト王国(B.C.1650〜B.C.1200)を建国。製鉄技術、銅の精錬方法を編み出す
☆カッパドキアに地下都市カイマルクの建設始まる(紀元前1600年ごろ)

☆バルカン地方から起こった民族大移動(B.C.1200年ごろ)でヒッタイト王国は滅亡、一部がアナトリア東南部に移動し紀元前8世紀まで存続

☆その後アッシリア人が強大になり、現在のシリア・イラン・イラクと一部 小アジアに、アッシリア帝国(B.C.745〜B.C.609)を建国
B.C.609

B.C.550
リディア王国 ☆内紛によりアッシリア帝国は滅亡、4ヶ国が誕生。リディア王国(小アジア)、新バビロニア王国(現シリア)、メディア王国(現イラン)、エジプト王国は約50年間以上分立

エフェソス都市遺跡
B.C.550

B.C.330
アケメネス朝ペルシャ ☆メディア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシャが、マケドニアに至る大帝国(B.C.550〜B.C.330)を建設

☆マケドニアのアレキサンダー大王の東方遠征(B.C.334〜B.C.321)で、ペルシャ帝国滅亡、3ヶ国に分裂(セレウコス朝シリア(旧ペルシャ帝国)、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニア(ギリシャ含む))
B.C.330

B.C.133
セレウコス朝シリア ペルガモン王国 ヘレニズム時代(東方遠征からエジプトがローマに併合されるまでの時代、ギリシャの支配した時代)
ペルガモン図書館

☆ペルガモン王国は、セレウコス朝シリアより小アジアの支配権を得て(B.C.282)、独立(B.C.263)。その後王国をローマ帝国に寄贈(B.C.133)、アジアの属州に
☆セレウコス朝シリアは、ローマ軍のポンペイウスに敗れ滅亡(B.C.63)
B.C.133

A.D.395
ローマ帝国 ローマ浴場(アンカラ)
☆ローマ帝国、コンスタンチノープルへ遷都(330年)
アヤ・ソフィア

☆北方のゲルマン人の侵入の中、ローマ帝国は東西に分裂(395年)し、分割統治へ
西ローマ帝国は476年に滅亡
A.D.395

A.D.1077
ビザンツ帝国
(東ローマ帝国)
☆9世紀後半に、モンゴル高原のトルコ人が中央アジアに移動、イスラム教に改宗。その後小アジアに進出

☆その中のセルジューク族が、セルジューク朝を開く(1037年〜1194年)。マラーズ・ギルドの戦い(1071年)でビザンツ軍を破り小アジアに進出
☆小アジアのイスラム化が進展
1077年

1308年
ルーム・セルジューク朝




☆アナトリアにルーム・セルジューク朝(セルジューク朝より分裂した地方政権、首都はコンヤ)がおこる(1077年〜1308年)
洞窟教会の建設盛ん(カッパドキア)

十字軍始まる(1096年〜1272年)
メブラーナ教創立(コンヤ)
☆ルーム・セルジューク朝はモンゴル帝国の属国に(1243年:キョセ・ダグの戦いに敗北)。そして滅亡(1308年)

1243年

1299年

アミール諸侯国 ☆ルーム・セルジューク朝末期の小アジアには、トルコ系諸侯(アミール諸侯国)が並立

ビザンツ帝国の衰退に乗じて、その一つであるオスマン族(アナトリア西北部)が急激に勢力を拡大
1299年

1453年
オスマン帝国 ☆オスマン帝国おこる(1299年〜1922年)
☆ティムール朝(モンゴル帝国の後継)に敗北(アンカラの戦い:1402年)、存亡の危機に

☆オスマン軍、コンスタンチノープルを占領、ビザンツ帝国
滅びる
(1453年)
1453年

1923年
オスマン帝国 ☆イスタンブールに遷都(1453年)
☆神聖ローマ帝国の首都ウイーン包囲、ハプスブルク家を存亡の危機に(1529年)

トプカプ宮殿。ブルーモスク
☆最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナに至る広大な領域に及んだ

☆17世紀以降の欧州の経済成長、ギリシャ独立戦争(1821年〜1829年)、列強の干渉を受けて衰退の道を
第一次世界大戦(1914年〜1918年)の敗戦、その後の混乱により、アナトリア北部を残し大半の領土を喪失(1920年セーヴル条約)

☆敗戦後の混乱(連合軍の領土占領、ギリシャの小アジア進出)の中、ケマル・パシャは、「祖国解放戦争とトルコ革命」(1919年〜1923年)を展開、連合国とローザンヌ条約を締結、王政を廃止してトルコ共和国を樹立(1923年)
1923年
トルコ共和国 ☆初代大統領に就任したケマル・パシャは、政教分離・近代ヨーロッパ法の採用などトルコの近代化を促進
アタチュルク廟(1934年)

☆トルコ系住民保護でキプロス侵攻(1974年)、北キプロスが 「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言(1983年)、現在も国連調停中
EU加盟交渉(2005年)

☆トルコ軍とPKK(クルド労働者党)が交戦(2007年)
☆トルコ軍が「クルド労働者党」を越境(イラク北部)攻撃(2008年)

 

☆☆ ひと休み ☆☆

<滝を背に (茨城 月待の滝)>

 

◆出典

・ 総理府統計局 世界の統計2007

・ 外務省 トルコ共和国 基礎情報

・ トルコ大使館 年鑑トルコ2006

 



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